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「水子の祟り」という観念は1970年代まで存在せず、新新宗教によって提唱されたものがメディアによって拡散されたという話。最初に言い出した「紫雲山地蔵寺」が14000体以上の水子地蔵を販売したってあたりに、正体が透けて見えるというか。
背景には人工中絶の増加というのもあるのだろうけど、この時期に死生観、宗教観が大きく変わった可能性はあるのかもな。1950年代から70年代にかけてというのは、日本の社会の大きなターニングポイント、精神的な深いところから変化が起こった時期と見ることができるのではないだろうか。
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後で読む。