国民優生法と精神医学 - 身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌 - Yahoo!ブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/60726803.html

この批判をかわして、非常時の立法として1940年に国民優生法が成立したが、この法律は41年から47年まで機能したが、その間、538件の不妊優生手術を行った。(男性217人、女性321人) 遺伝性の精神病は380件、遺伝性の精神薄弱は116件であった。この538件という数字が多いか少ないかというのは、価値観が混じる判断になるから、軽々しく少ないというべきではないが、当時の厚生省の予想よりもずっと少ない数であったし、のちに優生保護法になってからの不妊手術よりもはるかに少ない数であった。いま、ぱっと対応する数字が出てこないけれども(恥)、優生保護法により、49年から96年まで、全体で1万6千件の不妊手術が行われている。このうちかなりの部分が、期間の前半に集中的に行われている。


つまり、日本の優生学と精神医学の結びつきは、戦前に始まったが、戦後になってより強く・効率的になり、しばらくすると弱まって行ったのである。このことは、優生学という現象について重要なことを教えてくれるだろう。日本の優生学的な精神医療は、ファシズム政権下ではなく、民主主義の下で、盛んに実行されたということは知っておいたほうがいい。ついでに言えば、藤野豊さんは優れた仕事をしているが、ファシズム優生学とのつながりを過度に強調するのは、優生学の本質を捉え損ねていると私は感じていて、そう感じる一つの理由は、このような事実である。もちろん、藤野さんであれば、戦後民主主義の欺瞞性とか、そういう議論をされて、それはそれである程度当たっている議論なのだろうけれども。

 このあたり、戦前の貰い子殺人では死刑になっていて、戦後の「寿産院事件」ではやたらと刑が軽いこととパラレルなのかもしれないなと思った。貰い子殺人(Wikipedia)
 社会ダーウィニズムや優生思想がどのように受け入れられたのか。大正までの体制、戦時体制、戦後体制で、どのように変化したのか。むしろ民主主義との親和性が高い可能性があるのか。