池内恵「中東-危機の震源を読む」『フォーサイト』連載から

中東―危機の震源を読む(72):中東諸国に走る社会的亀裂――リビア、バーレーンの大規模デモで何が起きるか

 カダフィがどこに亡命するかの予測が興味深い。私兵集団やテロ集団とのつながりが受け入れ国に治安リスクをもたらす可能性が高く、何らかの資金援助を行った途上国や反政府組織に受け入れられる可能性が高いと指摘。
 あとは、サウジアラビアに走る社会的亀裂と不安定化の可能性。そして、どのように体制が崩壊するかの整理。中間層の状況、国民統合の度合い、政軍関係、アメリカなどの国際社会との関係で整理している。アメリカが今回の地殻変動に対してどう戦略を変えてくるか、イスラエルとの関係をどうするか。確かに興味深い。「シーア派の孤」の民主化の可能性…

かつてであれば、治安部隊による弾圧をほのめかすだけで国民は黙っただろう。しかし現在はむしろ逆で、国民を撃ってしまうことこそが、政権の権威と正統性を決定的に損なう。国民が批判を公然と口にするだけで、政権存亡の危機と受け取ってしまう政権は、しょせんそれだけの基盤しかない、という現実が露わにされつつある。政権にとっては勝ち目のないチキンゲームを強いられる状況が当面続く。

しかしもちろんサウジとて盤石ではない。富裕国であるはずのサウジに、実は貧困層とスラムがあることが、ここ2年ほど、サウジのメディアでさえちらほら報じられるようになっており、国王が気を配っていることを示さねばならないほど、深刻になりかけていることが想像される。貧困の問題と地域間格差や宗派間差別、そして初代アブドルアジーズ国王の孫世代に王位を継承する過程での対立が結びつけば、サウジも揺らぎかねない。

 すなわち、つい近年までの状況では、必ずしもこれらの国で中間層が拡大して成熟しているとはみなされていなかったが、慎重に事態の進展を見詰めながら、その認識を改める必要もあるかもしれない、というのが適切な現状認識だろう。新体制への受け皿作りの過程で、中間層の成熟が促進される(あるいは分裂して崩壊する)という展開も考えられる。いずれにせよ、各国で今すぐに現政権にとって代わる指導層が輩出する受け皿が存在するとは、前提にしない方が良い。

 「独裁政権」って結局のところ「正統性」に欠けるから力に頼らざるを得ないんだよな。一度壊れ出すと、その展開は早い。

中東―危機の震源を読む(70):ムバーラク最後の一日──加速するグローバル・メディア政治

 今回のエジプトの革命がグローバル・メディア空間で進展したこと。これに対し、オバマ政権が、それに対応して方針の決定を行ったという指摘。そういう意味では大きな変革が起きているのだな。10年間続いた911体制の変革と見ることもできるな。
 軍と政治の関係。エジプトでは軍が体制の中核に存在し、かつ国民に銃を向けてこなかったこと。アメリカの影響下にあったという特質。これに比べると、シリアやイランなどでは混乱する可能性が高いという。あるいはムバラク体制の最後の1日の話。使命感はあったんだろうけどな…

 エジプト革命の意義は、グローバル・メディアを最重要の要素として組み込んだ政治が、十全に展開されたという点だろう。周辺アラブ諸国やイランなど中東諸国への波及が議論されるが、単に地域的な問題としてではなく、グローバルな情報空間と政治空間の変容という普遍的な現象の、最先端の事例として認識するべきだろう。

 そもそもエジプト現地の情報源をほとんど持たず、米国の大手メディアや通信社の情報を遅れて手にし、政策メッセージの意味するところを読み解けずに報じた挙句、「ブレた」「後手に回った」と報じる日本の既成メディア・評論家は、この「コンセプチュアルな思考」というものが全くできないのではないか、という疑いを禁じ得ない。

全世界が共有したエジプトの政変のドラマを、大多数の日本人は共有しなかった。このことは今後の日本人の国際社会での地位に(ただでさえ低い地位に)、深刻な影響を与えるのではないかと危惧する。大げさに書いているように見えるかもしれないが、想像してほしい。例えば2001年に9.11事件があったことが、「夜だったから」「祝日だったから」といった理由で報じられなかった国があったとしよう。その国の子供たちはどう育つだろうか。リアルタイムで世界の変化を見詰め、新たな世界に目を開かされながら育った外国の子供たちに、伍していけるだろうか。国際社会の動きを理解し、自ら行動するための基本的な前提や感覚を共有していないことは、重大なハンディとなる。大手メディアに属するエリート社員たちが、停滞し老化した意思決定過程の改革を怠り、連休を安楽に寝て過ごすことが、将来の日本人が国際舞台で立ち遅れることに手を貸しているかもしれない。それぐらいの想像力を持ってほしいものである。

 日本の場合、今後の政治空間をどう変革するかというところで完全につまずいているしな。あと、大手メディアはかなりダメダメだよなあ。特にテレビメディアの劣化の酷さときたら。相撲の八百長とかどうでもいいことをグダグダと。

中東―危機の震源を読む(67):チュニジア革命の「詩」と統治の「散文」

 確かに、今回のアラブ世界の革命ってのは、「尊厳」がテーマだよな。より公正な社会を求める動き。それ自体はいすらむ原理主義運動と通じるところがあるけど、その表出の仕方、背後の思想の違いというのは興味深い。単純な「貧困」からは政治的変革は生まれないように思う。その不満を理論化する、組織化する動きがなければ、大きな政治運動にはなりえない。そういう意味で中産階級というのが大きいのだろう。

ブーアズィーズィー青年の焼身自殺から、アラブ諸国の人々は多くのものを読み取った。失業、物価の高騰、警察の監視と拷問、不条理で非効率な官僚制、大統領一族や政府高官の汚職、等々。これらのアラブ諸国に蔓延する事象に対する憤りに共通するのは、失われた「尊厳」の回復への希求である。