R・L・スナイダー『放浪のデニム:グローバル経済に翻弄されるジーンズの世界』

放浪のデニム―グローバル経済に翻弄されるジーンズの世界

放浪のデニム―グローバル経済に翻弄されるジーンズの世界

 ジーンズ生産のグローバル競争の圧力とそれに関わる人々がどんなふうに生きているかを描いたノンフィクション。アゼルバイジャンの綿花生産者や選別官と綿花生産の諸問題、イタリアの生地メーカーレグラー社とそのデザインの主任を中心に中国との競争にともなうイタリアの産業空洞化や織り・染色が環境に与える影響、カンボジアの縫製業とその労働環境改善の試み、そして中国の縫製工場における労働環境の監査制度の問題。衣料品のグローバル流通が自然環境や途上国の労働環境にどのような負荷をかけているか。グローバル経済の中でどのように人々が生きているか。
 印象的なのが、全体を通して見える中国の繊維産業の競争力。競争相手が等しく圧力を感じている状況。イタリアの繊維産業の苦悩は、まさに日本の繊維産業が経験してきた苦悩なんだろうな。軽工業の中国への流出と空洞化の問題。また、綿花がアゼルバイジャン、縫製がカンボジアと比較的マイナーなプレイヤーを採り上げているのもおもしろい。逆に、不利なプレイヤーからグローバル経済が照射される。
 あとは、ジーンズを含む衣料品生産が環境に与える負荷も印象的。大量に水を必要とし、また危険な農薬が使用される綿花栽培。染色から仕上げの段階で大量に使用される化学物質とその排出。「オーガニックコットン」といえども、大規模な栽培そのものが環境に与える負荷は無視できない。このあたりはパーム油の需要増大が熱帯雨林の破壊を誘発しているのと近い問題か。
 縫製部門は環境への負荷は少ないが、こちらはスウェット・ショップ(搾取工場)による労働問題が横たわる。この問題に関しては、大手ブランドの取り組みが語られているが、全体として根絶するのは難しいだろうな。ちゃんとやっている所から買うという方向しかないだろう。カンボジアの工場の労働条件や法律の整備の事例が興味深い。今でも、カンボジアの取り組みがある程度機能しているなら、カンボジア製品を優先的に買うインセンティブにはなるな。→ILO/IFCベターワーク計画
 あと、この搾取工場の問題に関して、日本国内のそれが近々問題になるんじゃなかろうかと気にしている。日本では「外国人研修生」の形で中国人を輸入して、国内でスウェット・ショップが運営されている状況になっている。最近は、人権擁護活動によって問題化され、目に触れやすくなり、ある程度の改善が行われていると思う。しかし、本格的な改善は見られない(というか、本格的に改善したら制度の存在意義がなくなるだろうな)。そのうちアメリカの人身売買問題の報告書に載せられて国際的な問題になるだろう。女性の性産業での強制労働問題に関しては、20年以上も黙認した挙句、アメリカの指弾を受けてあわてて対策、挙句に日本とフィリピンに組織が出来上がっていて抜け道が出来上がっているなんて警察関係者が言い出す始末。研修生問題は関わっている人間がさらに多いだけに、ダメージが大きいと思うが、このあたりの人権感覚のなさは相変わらずだなと呆れるしかない。


 以下、メモ:

 綿補助金の問題点は、補助金がつくり上げた世界にはもはや誰も暮らしていないことだ。塗装はきれいで昔を思い出させるが、ガソリンをむさぼり食って道路を占領している五七年型シボレーのようだ。二〇〇四年にアメリカ政府は綿補助金に二億六四〇〇万ドルを投じたが、世界貿易機関WTO)によるとそのすべてが違法だった。家族経営の農場を維持するためにつくられた補助金制度の八〇%が、実際は農業関連ビジネスや企業農場に流れていた。
 EUと日本にも気前のいい農業補助金があるが、補助金制度が世界で嫌われている理由は、アメリカが補助金のおかげで自国の綿を市場価格より安く輸出でき、綿の価格を抑制していると多くの人が思っているからだ。たとえばブラジルは、二〇〇二年だけでアメリカの農民は六億ドル分の減収を補助金で埋めた計算になると指摘した。これに対しアメリカは、補助金が世界市場の価格に与える影響は二%を超えないと反論する。
 アメリカの綿はむしろ、よその国の価格を抑制することが多い。たとえば、マリではアメリカ産の綿が「マリ産」より安い場合もある。ブラジルはアメリカの綿補助金をめぐりWTOに提訴して勝利し、制裁措置をちらつかせた。ジョージ・W・ブッシュ米政権は補助金の削減を繰り返し約束したが、具体的行動はなかった。二〇〇五年一一月に米議会は、環境保護や小規模農家に対する補助金を中心に一部削減を検討すると発表した。ただし、裕福な大企業は比較的影響を受けない。サックスビー・チェンブリス上院議員共和党)は、「次回の農業関連法はWTOに素直に従うことになるだろう。いくつかの分野で変わったように見える法律が必要なのだ」と語った。p.68-9

 このあたりのやり方は本当に汚いよなあ。なにが自由貿易なんだか。一部大企業への便宜供与としての補助金というのは呆れかえるな。

 ある服にどの化学物質が使われているかは、研究室で分析しないかぎり正確にはわからないが、洗い加工の水準が高くなさそうだとわかる方法が一つある。前ポケットの内側を調べるのだ。濁ったような青色がたまっていたら、そのジーンズは最後の洗いが不完全で、インディゴがうまく落ちていないということだ。ほとんどの服は、製造過程で使った化学物質の大部分を洗い加工(デサイジング)で落としてから店に並ぶ。だから消費者は、衣料業界の労働者とちがって、残留化学物質の影響は一般に受けない(ただし、買ったばかりのシーツや下着を洗わないでそのまま使ってはうけないと、私は何度も助言された。理由を訊いても答えは返ってこなかったが、彼らの表情が物語っていた。とにかく言われたとおりにしようと思わせる表情だった)。p.126

 うーむ。とりあえず今はいているジーンズは大丈夫だった。

一九八〇年代と九〇年代に染料製造の主力だったスイスの製薬会社サンドは、八六年にライン川の悪名高い化学汚染を引き起こした。流出した化学物質で二五マイルにわたって川の水が赤く染まり、数百マイル先でも野生動物が死んだ。流域の住民はしばらくのあいだ、巨大なタンクで運ばれてくる水を使うことを余儀なくされた。この流出事故は、結果としてヨーロッパの環境規制を一気に厳格化させ、サンドの名誉が完全に回復することはなかった。ウェンツによると、染料製造の大手は規制が強化されたヨーロッパでは経営を維持できず、業界の中心が規制の甘い国々に移動しているため、環境に関するデータが減っているという。p.137