炊事のロジスティクス

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/1066 いや、全くその通りで、買った材料を無駄なく使いまわす技術というのは本当に難しい。かつ、それで充分な栄養を摂取するのも。一人暮らしをすると、そのあたりの家事の技術の深さというのは本当に痛感する。
 ただ、炊事の運用というのはそれこそ無限のバリエーションがあるから、本を作るのも難しいのではないだろうか。単純に食材の購入だけでも、価格変動、地域の価格差、バーゲンのタイミングなどで大きく差が出るから、モデルを作るのも難しい。例えば、野菜の価格高騰なんかは割と頻繁に起きるし。
 確かに、そのあたりの運用術の要諦を解説した本があったら便利だと思うけれど。まあ、性格的な向き不向きや思考のパターンに相当制約されそうだよなあ。節約術なんか、ほとんど宗教の修行みたいに見えるし。

料理の本は、手段を販売している。本を読むことで、その料理を再現することができるようになるけれど、料理の本は運用を提供しない。料理が再現できたとして、運用を知らない人が本の通りに作ろうものなら、もしかしたら冷蔵庫の中身は、余った食材で一杯になってしまう。「男の料理」がしばしば歓迎されないのは、「男」が片付けのことを考えなかったり、無駄に豪華な食材を買ってきたりすることが迷惑なのはもちろんだけれど、別の誰かが台所に介入することで、今まで保たれていたリズムのようなものが乱されて、それを立て直すのも大変だからなんだろうと思う。

 いや、ほんとにねえ。逆に現在冷蔵庫にあるものから料理を作るのもなかなか難しい。


高杉さん家のおべんとう 2 (MFコミックス)

高杉さん家のおべんとう 2 (MFコミックス)

 『高杉さん家のおべんとう 2』の91ページにおばあちゃんの家事指南みたいなシーンがあって、

 その場その場で帳尻合わせる行きあたりばったり力よ

って台詞があるんだけど、これこそがたぶん真理。そして私には、その手の応用力はない。


 はてブでちょっとおもしろいコメントがあった。

昭和の台所は大して保存が利かないから近くの商店街に(結果的に季節のものを)逐次調達しにいくことで(これまた結果的に必要なもののみ調達と)戦略っぽいロジになっていたのかも。
http://b.hatena.ne.jp/julajp/20110301#bookmark-32217957

 冷蔵庫普及以前だと、どうだったんだろうな。農村では、自分とこでとれたものを利用するのが主体。大根が取れる季節は連続で大根だけとかいう攻撃だから、栄養バランスなんかは当然あんまりよくなかっただろう。玄米の大量摂取で補っていたのかも。
 都市部ではどうだったのだろうか。おそらく自宅で漬物つけたりはやっていたのだろうけど。だからこそ、一人者の家事というのは難しかったわけで。貧困層に関しては、残飯屋なんてのがあったそうだが。あとは屋台なんかの廉価な調理品の利用か。寿司や天ぷらなんかは近世のファストフードで、一人身の人が使っていたらしいという話が『江戸時代のファーストフード』asin:4062581213なる本に書いてあるそうだが、未読なので詳しくは知らない。