メアリー・マイシオ『チェルノブイリの森:事故後20年の自然誌』

チェルノブイリの森 事故後20年の自然誌

チェルノブイリの森 事故後20年の自然誌

 チェルノブイリ原発の事故後、およそ20年の時間が経過して、汚染地域がどのような状況になっているかをリポートした本。発電所周辺から居住者が減少した結果、自然公園のような状態になっているそうだ。著者は、実際に立ち入り制限区域「ゾーン」を何度も訪れているが、その実際に歩いた体験が興味深い。実際には、本書のもとになった取材も原著の出版も、「事故後20年」には何年か足りないようだけれど。
 本書は、第一章で全体的な説明など、以下、植物、鳥類、哺乳類、希少動物の再移入計画、水系による放射性物質の移動と魚類の汚染、立ち入り制限区域に居残る人々がそれぞれの章で取り上げられている。
 印象的なのは、やはり生命の力強さ。放射性物質による汚染といえば、「核の冬」、不毛の地といったイメージが強いが、むしろ緑豊かな土地となっている。逆に、人が住んでいた都市は、思った以上に早く森に飲み込まれつつあるというのが興味深い。そこに住んで、維持する人間がいなくなると、あっという間に屋内まで植物が侵入してくるし、それはコンクリ製のビルでも例外ではないようだ。まだ、廃墟がかなり残っている状況だが、それも呑み込まれていくのだろう。
 また、人間の退去にともなって、ゾーン内が野生動物の楽園となっている状況も興味深い。それぞれの個体単位では明らかに放射性物質の悪影響を受けているにもかかわらず、生態系全体で言えば非常に豊かなものになっている。高濃度汚染で異常な生育をしている松、生殖能力の低下、卵の殻へのストロンチウムの蓄積によるヒナの健康状態の悪化などをどう乗り越え、生育条件の変化のなかでどのような安定状況を実現しているのか。野生状態では、動物の生命はかなり短いようだから、癌のリスクなんかの長期的影響は人間と比べて無視しうる条件になるのかもしれないが。放射性物質による汚染レベルが低い他の土地との比較によって、生態系全体に関する知見がいろいろと得られそうだが、予算不足で生態的な調査は進んでいないらしい。ここにこそ、資金を投入すべきだと思うのだが。
 あと、放射線関係はむずい。新旧8種類の単位が混在すると理解を放棄してしまうな。放射能放射線量に吸収線量に線量当量とか言われてもなあ。すっぱりと一つの単位にまとまらないものか。

 放射性ストロンチウムはカルシウムになりすますので卵殻に集中し、成長中のひ弱な胚にベータ粒子をぶつけて攻撃する。汚染の激しい赤い森に巣をかけるシジュウカラの卵殻には、四万ベクレル/グラムも含まれている――とてつもなく高い濃度で、固体の放射性廃棄物と肩を並べるほどだ。正常な鳥の卵は種でほぼ均一だが、赤い森にいるシジュウカラの卵はひとつの巣の中でさえ、大きさと形にかなりのちがいがある。2003年の調査では、中身がからっぽだったり、胚が死んでいたりした卵がいくつもあった。さらに、卵からかえっても、最終的に巣立ちした鳥は、対照群の鳥とくらべると少なかった。巣の四つにひとつは、ヒナが一羽も生き残らなかった。とはいえ、死因は必ずしもあきらかでない。親鳥が放射能の影響で弱っていたのかもしれないし、ヒナに餌をやる体力がなかったのかもしれない。赤い森にいるシジュウカラは血液中に病的な変化が見られる。p.146

 これは繁殖力が低下している証拠かもしれない。繁殖力の低下はゾーンのほかの動物にも見られることがわかっている。たとえば、ゾーンで放射線にさらされ研究室に引き取られたハツカネズミとハタネズミは、一回の妊娠で平均して七匹の赤ん坊を産むのに、ゾーンで一生暮らす野生のネズミは一腹の子どもの数が四匹かそこらだ。もっとも妊娠期間が二百三十五日のヘラジカと異なり、ハタネズミは野生では一年に七回まで出産できる。それで、チェルノブイリのハタネズミは、たとえゾーン外の仲間よりも若くして死んだとしても、出産も若い年齢で始まるので、全体の生息数は安定しているのだ。p.184

「赤い森にいる小動物の生息数と多様性は、もっと放射能が少なくて似たような地域と変わりません」。イーゴリが言った。「ちがいがあるなら、放射能以外の要素に基づいているんです。p.196

 哺乳動物の場合と同様に、ゾーンの水系では魚の変異体や奇形はこれまでにひとつも見つかっていない。科学者が首をひねっているが、理由は、哺乳動物で変異体が一頭も現れなかったのと同じかもしれない。変異体は、野生では、生まれたとしても死ぬ、ということだ。また、事故で遺伝子に大きな損傷を受けた動物は、損傷を受けた遺伝子を子孫に受け渡す前に死んだ。正常に生まれて生き延びた動物は、放射能に対して抵抗力があるのかもしれず、子孫はこの特性を受け継いだのだろう。
 実際に、チェルノブイリの湖に生息するヨーロッパフナ四百匹を調査したところ、遺伝子の変化はいくつも見られたが、外見はまったく正常なことがわかった。ヨーロッパオオナマズよりもずっと小型の、水路にいるナマズの研究でも、外見はまったく正常だがDNAの切断など遺伝子に損傷があることがわかっている。p.261-2

 弱い子供の段階で淘汰されてしまうのだろうか。

 ゾーンはふつうの日でも奇妙な場所だが、もっとも奇妙な光景が見られるのは、復活祭のあとの日曜日をおいてほかにない。奇異と言うのはまさしく――少なくとも一見しただけでは――ごくふつうに見えるからだ。チョルノブイリの町に人びとがあふれ、プリピヤチなら自分の声しか聞こえないに、いろいろな人の声が聞こえ、道路にほんとうにほかの車が何台も走っている。一年間にゾーンを訪れる三万人のほぼ半分がこの日にゾーンにやって来るのだ。ゾーンで十代の子どもを見かけるのも、一年でこの日しかない。とはいえ、子どもたちはサマショールの祖父母を訪れるために、時たま、こっそり忍びこんでくる。
 復活祭のあとの日曜日に規則の例外が認められているのは、昔からこの日には、故人とランチを(それにお酒をたっぷり)ともにするために人びとがこぞって墓地に出かけるからだ。先祖が信仰した異教の行事の名残にキリスト教の宗教儀式という見えすいた仮面をかぶせたこのお祭りは、プロヴォーディ(別れを告げる日)と呼ばれている。私はウクライナアメリカ人としてアメリカでプロヴォーディに参加していたが、お墓にピクニックに出かけて、大声で笑ったり、お酒を飲んだりする人たちを見て、いつも、すごく奇妙だと思った――少なくとも、しらふのときは、しらふが損なわれた状態は、ものごとの――いわゆる――本質に近づきやすい。p.322-3

 ウクライナのお盆ですな、これは。4月か5月の行事だけど。先祖祭祀と共食という二つの機能を兼ね備え、一族の結束を図る行事と言うのは、結構普遍的なものなのだろうか。