東日本大震災 鳴らし続けた半鐘…消防団11人死亡・不明

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110323-00000018-maip-soci 大槌の半鐘。こういう悲話があちこちであったんだろうな。

東日本大震災で1000人を超える死者・行方不明者を出した岩手県大槌町で、大槌町消防団第2分団(越田弘分団長、28人)の団員たちは、防潮堤の門扉を閉じ、住民を避難させようと最後まで海辺にとどまった。任務を果たした結果、4人が死亡し、7人が行方不明。その中の一人、越田冨士夫さん(57)は団の象徴である「半鐘」を鳴らし続け、津波にのみ込まれた。

 海岸に近い大槌町の安渡・赤浜地区。第2分団は地震が起きると真っ先に門扉を閉じる決まりになっていた。11日も団員たちは一斉に防潮堤へ向かった。

 「おみゃーは屯所でサイレン鳴らせ」。14カ所ある門扉の1カ所を閉め終わったところで、団員の飛内邦男さん(55)は越田さんからそう指示された。

 津波が迫っていた。住民を円滑に避難誘導するには、全域に危険を周知する必要がある。飛内さんはサイレンを鳴らすため近くの分団屯所へ車で向かった。

 スイッチは1階。ボタンを押した。鳴らない。地震で町全域が停電し装置が作動しなかった。

 間もなくして越田さんが屯所にやってきた。状況を報告すると越田さんは「よし」と一声。屯所の屋上に上がり叫んだ。「早ぐ行げ。みんなを避難させろ」。その時、飛内さんは、越田さんが普段は火の見やぐらから外してある半鐘を手にしているのを見た。これが最後の姿だった。

 「カン、カン、カン」。大災害時にだけ使用が許可されている特別な鐘。その乾いた音は遠くまで響いた。当時、数百メートル離れた高台に避難していた元分団長、東梅武保さん(72)は「海の様子が見えていたんではないか。何とも寂しい音だった。今も耳から離れね」。

 第1波が到達したのは午後3時20分ごろ。高さ約5メートルの堤防を軽々と乗り越えた黒い波は、渦をまきながら集落をのみ込んだ。同じころ、屯所の近くでは団員10人前後が高齢者の避難を手伝っていた。住民や団員に警報を出し続けた半鐘の音は、津波が屯所に達するまで鳴っていた。

 津波が引くと、屯所は建物の基礎部分だけを残し消えていた。変形した屯所のやぐらが、がれきの中から見つかったのは10日後のことだ。

 越田さんと半鐘の行方は、今も分かっていない。【鈴木一生、山本将克】