桜林美佐『誰も語らなかった防衛産業』

誰も語らなかった防衛産業

誰も語らなかった防衛産業

 三菱やIHIなどの大手元請け企業ではなく、中小の下請け企業を中心に取材しているのが興味深い。ただ、著者の思想についていけない。コテコテの産経カラーなのか、陸自装備業界のスポークスマン状態なのか知らないが。なんともはや。「志」を強調しすぎるのもなんだかなとしか。
 第4章の戦車の下請企業や第6章の明治ゴム化成、第8章の日本製鋼所、第9章の多摩川精機など、個別の企業の紹介はなかなか興味深い。ただ、現在では防衛産業から民生品のスピンオフってどのくらいあるのだろうか。分化が進み過ぎて、軍需からの技術の転用というのは、多摩川精機のような例外を除けば、ほとんどないのではないだろうか。また、本書の戦車のサプライヤーの苦境を見ると、諸外国の戦車生産では、部品供給はどのようになっているのか、どのような企業が供給しているのかというのに興味がわいてくる。
 しかし、本書を読むと、防衛産業の苦境というのがよく分かる。本書では中小の町工場の職人芸を賞賛するが、装備調達費の縮減の結果まとまった生産が出来なくなり、小ロットの生産に対応できる企業しか残っていないというのが本当のところなのではないか。あと、本書は基本的に陸自・三菱あたりの協力を得て書かれているようだが、限られたリソースをどこに回すかという点では非常に難しい問題を提起しているなと思う。例えば、戦闘機と戦車や火砲の生産能力をトレードオフするとしたら、どっちを切り捨てるべきか。

 防衛予算の縮減と「選択と集中」により、とかく冷戦時の遺産とされる戦車や火砲は「選択されない」側に分類されがちだからだ。
 当然、シーレーン防衛やミサイル防衛など、海空のよる防衛力整備が最重要であることは言を待たない。しかし、もし両戦力が力尽きてしまったら、そこでゲーム・オーバー。「国の独立・存続を諦める」のだろうか。
 最後に残された陸上戦力は持久戦を戦うことになる。そこに、戦車や火砲は必要ないのだろうか。p.224

 このあたり、極めて陸上自衛隊の利害に即した物言い。大日本帝国は諦めた。まあ、沖縄や硫黄島での持久戦が、ソ連の対日参戦を避けたいアメリカに対応を迫ったように、それはそれで意義のある戦いをしたわけで、陸上戦力の有用性はそれなりにある。戦車や火砲のような、中核的な武装の自己生産能力があった方がいいのは確か。ただ、正直制空権を完全に失ったあとに、戦車や火砲がいくらあっても、標的にしかならないというのもたしかで、どこを切るかとなれば、真っ先に陸になるわなとしか言いようがない。


 以下、メモ:

 「ここでは、何種類くらいの戦車の部品を手がけているんですか?」
 と、社長に尋ねると、
 「何種類?……そうですね、かなり多いです。しかし、それがむしろ、大変なんです」
 ここではエンジンや車両の部品を担っているが、種類は多いものの数が少ない。つまり、機械で量産できない、いわば芸術的技術を要する部品や手間のかかる部品など三菱重工のような大きな会社では対処できない「一点もの」の部品を引き受けている。
 その種類がこのところさらに増えているのは、割に合わない仕事で取り引きをやめてしまう工場が増えているからのようだ。p.71-2

 石井製作所の記事から。町工場でも割に合わないレベルになりつつあるのだな…