「荒尾発:戦争遺跡「荒尾二造」消滅の危機:「変電所跡」保存求める声」『熊日新聞』11/2/11

 荒尾二造こと東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所の最大の遺構、変電所跡が売却されて消滅する危機にあるという話。残していってほしいものではあるが、難しいだろうな。荒尾市も産炭地の例にもれず財政が苦しいみたいだし。

 太平洋戦争中、荒尾市にあった東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所(荒尾二造)は、石炭を原料に黄色火薬などを製造していた。戦後ほとんどの二造施設が解体される中、現存する遺構のうち最大の「変電所跡」が消滅の危機にある。市民団体からは保存を求める声が上かっている。
 荒尾二造は軍直営の火薬工場だった。広大な敷地約300ヘクタールに500を超える工場、倉庫などの建物があり、生産した火薬は北九州市の小倉造兵廠へ送られ、砲弾や爆弾に使われたという。
 戦後、跡地は国から払い下げられ、一帯には工場や市民病院、福祉施設、高校、団地などが立ち並ぶ。今も売却は続き、残る遺構は大小の火薬庫や消火栓、荒尾高内にある分析室など20件ほど。今年に入り変電所跡を含む土地4件が一般競争入札に掛けられた。
 「遺構の中核となる変電所跡だけは、ぜひ残してほしい」。公売を知った「玉名荒尾の戦争遺跡をつたえるネットワーク」は、1月31日付で九州財務局に保存を求める要望書を提出。同局管財部は「1月11日に入札を公示しており、中止はできない。事前に荒尾市に土地取得の打診をしていたが、回答はなかった」と説明する。
 荒尾市教委は「二造は荒尾の近現代史の中で重要」と位置付けるものの、「土地の取得となれば、購入費に加え維持管理費もかかる。比較的新しい施設でもあり、これまで文化財的価値は議論されてこなかった」と打ち明ける。
 市は、世界遺産登録を目指す万田坑整備に財政、人員を集中させなければならないという事情も抱える。「関係者の記憶をどうやって次代につなげていくかが課題」としながらも、保存については白紙の状態だ。
 同ネット事務局の高谷和生さん(56)=玉名市=は「二造は、産炭地大牟田・荒尾の産業がどう結び付いたかを物語る貴重な遺跡。万田坑などの近代化遺産を補完する役割も持つ」と力説。元二造従業員の吉田洋一さん(85)=荒尾市=も「荒尾市の成り立ち、発展と密接にかかわっている。変電所跡はぜひ残してほしい」。
 同ネットは、これまで二造にかかわってきた団体にも声を掛け、跡地利用について市民の立場で提言していく方針。高谷さんは「今回は不落札になる可能性もある。荒尾市には財務局と協議し、保存に向けて手を打ってほしい」と話している。小野由起子)