「パリで考えた日本の「愛」:仏の研究学会 状況で変わる言葉・感情」『朝日新聞』11/2/16

 おもしろそうな研究会。デートスポットと街づくり、愛情表現のヨーロッパと日本の差異。基本的には、状況や対象によって気持ちってのは変わるもんだと思うんだけど、ヨーロッパ以外ではどんな扱いなんだろうな。「ラマン」を「愛人」と訳したのも、どうかなと思うけど。

 フランスの日本研究者が一堂に会するフランス日本研究学会がこのほど、パリで聞かれた。今年度の大会テーマは「愛」。文学、哲学、地理といった多様な専門からの発表があり、学際的な性格を帯びていたのが興味深い。
 イザナギイザナミ神話や恋文に関する研究とともに、デートスポットの研究(トゥールーズ大学のスコシマロ・レミ氏)が目をひいた。デートスポットが日本の街づくりの重要なコンセプトになっていることを、東京のお台場や横浜みなとみらい21の例をもとに発表したものだ。
 カップルで仲睦まじく外出するという行為は、欧州では若者固有の行動という認識は薄く、中高年の男女が手をつないで街を歩く姿もよく見かける。日本では、恋愛=若者文化という発想が強いため、若者の集客効果を狙って街の活性化がはかられる。街づくりも恋愛という精神文化の体現なのである。
 日本の現代語の愛情表現を映画の台詞から考察した発表 (グルノーブルスタンダール大学の東伴子氏)では、日本語の「好き」「思う」「愛する」といった言葉が、フランス語ではほぼすべて「アムール」と訳されていることが興味深かった。
 フランス語の愛情表現は、日本語より単純で、ニュアンスにとぼしいのではないかという見方もできるが、他者と重要な関係を結ぶ際の感情が、日本語では立場や状況に左右される傾向があるのに対して、西洋語では本質的な感情はひとつという価値観があるともいえる。
 私か基調講演で、日仏の女性文学の恋愛観について話をした際、マルグリット・デュラスの小説「ラマン」は日本語で「愛人」と訳されているが、本来は「恋人」ではという意見をいただいた。日本では通常、「恋人」は結婚前にしか使わない。しかし、フランス語でもドイツ語でも英語でも、結婚の前後を通じて、相手への感情は、「アムール」「リーベ」「ラブ」という同じ単語で表現できる。相手を大切に思う気持ちは、西洋語では表現上一定だが、日本語では関係も感情も制度や形式によって変化するという発想がある。「ラマン」が「愛人」になったのもそれゆえの“逆説“である。
 ヨーロッパ生活での私の見聞からも、明治人が理想化した「西洋的愛」は、日本には実質的には根付いていないと確信できるし、今後もそうであろう。ただ、表層上の西洋的恋愛風俗は、バレンタインデーのチョコのように今後も続くのであろうし、その様式性こそが日本の「愛」のあり方を見事に象徴している。(佐伯順子同志社大教授)