第二次大戦以降、初めて日常性の断絶を日本人が経験している。三島由紀夫が呪詛した日常性が終ったのである。この悲惨な現実を克服する過程で、新しい復興という時代精神がこの島国に胚胎するかもしれない。
— 猪瀬直樹/inosenaoki (@inosenaoki) March 16, 2011
→http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/inosenaoki/status/48070283659186176
なんか、今度の東日本大震災で「戦後が終わった」とか、騒いでいる人がいるけど、それは17年前の阪神大震災でもう通った道だって感じだな。東京が、いかに日本国の制度によって保護されていたか、その住人がそれを認識していないかを浮き彫りにしている。つーか、東京もんの日本=東京みたいな認識が気分悪い。その感覚から脱せない限りは、「新しい時代精神」なんか出てこない。
かつてはどうだったか知らんが、もう猪瀬は評論家としては完璧におわっているな。
samoku どんな災害や事件も飲み込んで己の一部としてしまうが故に日常は呪詛の対象なのであるとか適当なことを言ってみる。もちろんこのツイートは日常の最たるもの。 2011/03/17
http://b.hatena.ne.jp/samoku/20110317#bookmark-34147301