桜井邦朋『夏が来なかった時代:歴史を動かした気候変動』

夏が来なかった時代―歴史を動かした気候変動 (歴史文化ライブラリー)

夏が来なかった時代―歴史を動かした気候変動 (歴史文化ライブラリー)

 うーん、微妙。本書は、宇宙物理学者が太陽活動の消長を中心に気候の変動とその社会的影響を議論している。が、正直、あまりに単純化しすぎなのではないだろうか。太陽の活動レベルが、気象や気候に影響を与えるのは間違いない。そもそも、地球の熱源が太陽なのだから。しかし、地球の大気活動にしろ、人間活動にしろ、あまりに複雑な存在であることを忘れるべきではない。太陽が同じエネルギーを、地球や人類社会に入力したとしても、どう出力されるかはその時の条件によって異なる。そこをもうちょっと注意すべきではないか。フランス革命の誘因としての飢饉の重要性を指摘している。1788-9年の飢饉が、フランス革命のトリガーを引いたことは確かなのだろう。しかし、なぜそれが、同様の飢饉があった1775年や1785年に起こらなかったか、あるいはほかのヨーロッパの政権の転覆が起きなかったかには答えられていない。フランス王権の財政破たんなどのさまざまな要因を考慮する必要があるのではないか。古気候学をやっている人間の中には、歴史における様々な事件の要因を過度に単純化しがちな人がいるなと思った。
 飢饉についても、実際の様態はなかなか複雑なものらしいし。


 以下、メモ:

 気候変動の歴史に関する研究結果は、18世紀半ばをすぎて以後、1820年ごろにかけて世界的に気温が低かったことを示している。後にオースティンについて述べるときに詳しくふれるが、1816年は一年を通じて寒く、夏の来なかった年として知られている。農作物の作柄も悪く“貧乏の年”ともいわれたという。p.21-3

 これについては、インドネシアのタンボラ山の噴火が要因だと言われているな。あと、19世紀の地球低温期、原因は謎の噴火って記事も。

風景画
 気候の寒冷化は、当時の絵画、特に風景の描写にその影響を及ぼしている。この寒冷化が最も厳しかった時期は、17世紀半ばから18世紀初めにかけての約70年間で、当時の画家、例えばオランダのレンブラントフェルメール、コンスターブル、アーヴェルカムプなどが描いた人びとの生活や風景から、彼らが活動した時代の気候について推測することができる。当時の人びとの着ぶくれしたかのように見える衣装、弱々しい外気からの光、雲におおわれたどんよりとした空などを眺めることから、当時の人びとの日常生活の様子がわかる。オランダでは、張りめぐらされた運河が冬には完全に凍り、人びとがスケートをしたりしている姿が描かれている。
 小氷河期のいろいろな時期に描かれた絵画について、ヨーロッパの代表的なものにみられる雲とそれが空をおおい隠す割合を調べた結果、1550年から1700年にわたる期間では平均してほぼ80%、空が雲におおわれていたことが明らかにされている。18世紀を通じてだいたいで50から75%、1790年から1840年にかけての期間に対しては70から75%となっている。
 このような調査の対象とした絵画は屋外、それも夏の戸外で、大部分が描かれているので、気温の面で悪い時期のものではなかったはずなのに、雲の多い空が描かれている。このことは、小氷河期に生きた人びとが、雲の多いあまり暑くない夏の日々という気持ちを抱いていた事情を反映しているものと思われる。
 イギリスで18世紀の後半から開始した産業革命の進展は、ロンドンをはじめいくつかの工業都市に大気汚染という深刻な問題を生じさせた。当時の人びとは、この汚染が人びとの健康に及ぼす害についてはほとんどかえりみていないようだが、芸術家は時代とともに空の色が変わっていったことを作品に反映させている。背景となった空の色が、青から黄褐色へ、さらに赤灰色へと、徐々に変わっていくのがわかる。後には、ヨーロッパ大陸の都市にも類似の傾向が現れている。
 ロンドンでは、17世紀の末ごろから石炭の使用による大気汚染が拡がり、その影響は20世紀にまでつづいているのである。p.71-2

 うーん、この見積もりってどの程度信用できるのだろうか。時代思潮とかアングルとか、いろいろ考慮する必要があるのでないだろうか。あとは、描いた場所とかも。単純に雲の量を見積もって、それで気候を云々するのは、いくらなんでも乱暴なのではないだろうか。