近藤好和『騎兵と歩兵の中世史』

騎兵と歩兵の中世史 (歴史文化ライブラリー)

騎兵と歩兵の中世史 (歴史文化ライブラリー)

 軍記物や絵巻物といった史料を利用して、戦に参加する人々がどのような武器を、どのように使っていたかを追及している。戦士を、弓射騎兵、打物騎兵、弓射歩兵、打物歩兵の四類型に分け、それが時代によってどのような組み合わせになるかを論じている。
 先日読んだ『大名行列を解剖する』では、武士の行列が行軍隊形から、平時に余計な供を減らした形だと指摘していた。戦国時代の軍隊は、分節化した小集団が重なって形成されるものであり、「侍たちが馬から下りて本陣の前に展開し、徒歩で家来を率いて敵陣に突入して、一騎打ちで敵の首級を取り手柄を立てる」という形で行われた。では、それ以前は、どうなっていたのかという関心で手に取った。武士というと、馬に乗って戦闘するものというイメージがあったが、いつから武士は徒歩で戦うようになったのか。本書を読むと、ある程度は、、それに対する回答がある。問題関心のあり方が、両書で違うので、重ならない部分があるが。「備」や「押」といった、陣立て、軍勢の編成などは、本書では言及されていない。
 最初は中世前期。『平家物語』の初期の写本や『前九年合戦絵巻』を手がかりに、鎌倉時代前半あたりまでの、戦闘のあり方を再構成する。弓矢・太刀・腰刀を一括して所持する弓射騎兵が、騎射戦から打物戦、組討へと展開する個人主体の戦闘の時代であったと指摘する。これに打物歩兵、弓射歩兵が加わるのが中世前期の武士団であった。
 続いては、このような騎射を中心とする戦争のあり方が古代にさかのぼれるかを検討している。素材は六国史律令など。律令制下の諸衛府や軍団に弓や馬に優れたものが多数採用され、兵器としては弓矢が重視されていた。また、六国史の騎兵や騎射に関する記述を検索し、騎兵が天皇行幸の警備や外交使節の接遇、対蝦夷などの対外戦争に動員されたこと。藤原仲麻呂の乱の事例などから騎射が盛んに行われたことを指摘する。騎射は古代からの伝統のもとに行われたものであり、律令軍団の歩兵と中世武士の騎射を対比的にとらえる見かたは適切でないと指摘する。
 その後、中世に戻り、南北朝から室町初期の戦いを、太平記や同時代の絵巻から検討する。太平記の一騎討ちや各種の絵巻から、騎馬武者の戦いが騎射から打物での戦いに変質すること。打物の多様化。槍の出現。竹と木を組み合わせた三枚弓の普及と威力が増大した弓を射るために軽装化した「足軽」の出現、歩射の一般化。大鎧の歩兵への普及と歩兵用の腹巻が騎兵にも採用され、主流化する「武具の下克上」などが指摘される。
 最後に、室町以降の展望を「明徳記」から検討する。この時代の特徴としては、打物騎兵が下馬戦闘を主体にするようになる戦闘の徒歩化が指摘される。また、弓矢に関しては、軽装の歩兵による使用へと変化する。この状況から、戦国時代の弓・鑓・鉄砲へと専門分化した戦いへ流れると展望している。


 このような変化の要因として、社会の変動が指摘されている。重層的な権利関係からなる鎌倉時代までの時代には、戦闘は敵戦力の殲滅や掃討が目的となり、その場合は弓射騎兵の騎射が有効であった。それに対し、南北朝期以降の一円支配の時代には、戦争は領土の拠点となる城郭の争奪となり、その場合歩射の方が有効になる。このような変動が、戦闘法の変化につながったと指摘する。


 以下、メモ:

 しかし、著者が何よりも注目したいのは、打物騎兵の登場と、それにともなう馬上打物戦の激化である。馬上打物については、『太平記』では、行粧としては弓箭を加えた弓射騎兵でありながら、戦闘では弓箭を使用せず、馬上打物を行っている例さえある(巻九・久我畷合戦事の名越尾張守など)。そして、打物騎兵の登場は、前章までの考察からわかるように、六世紀以来、弓射騎兵を伝統とした日本の騎兵史上での画期的な変化なのであり、それは戦士としての武士の大きな変質を示しているのである。p.143

 つまり弓射の際に甲冑を脱ぐことと併せて考えれば、『太平記』の射手は軽武装であることが多い。前代の射手である弓射騎兵が、重厚な大鎧を着用しているのとは対称的である。さきに「中世前期の騎兵と歩兵」の章で楯突戦と馳組戦の相違に関するところでのべたように、騎射の防御は甲冑に頼るが、歩兵の防御は楯などに頼れる。そのために軽武装でよく、しかも軽武装のほうが弓射しやすいのである。
 ところで、歩射を行っている六例の足軽のうち、五例は当初から歩兵(徒歩)であることが想定され、かれらは弓射歩兵である。当然のこととして、歩射と弓射歩兵は直結しており、歩射の増加は、常設の城郭戦や野伏戦の増加と表裏であると同時に、弓射歩兵の増加をも示唆していよう。そして、何よりも歩射の増加は、三枚打弓の主流化と表裏である、矢の飛距離の増加により騎射よりも遠距離から歩射するほうが有利になったのである。p.167