通町筋の北側歩道にある石碑。気をつけてみると、結構たくさんある。
「水道町の由来」
水道町の由来
この一帯は、加藤清正が熊本城の東側に開いた武
家地の一つで、宝永四年(一七〇七)頃、白川の小碩
橋付近から、坪井川の厩橋付近まで防火用水路として
の水道を引いたとき、現在の藤崎八幡宮参道付近から
この辺に水路を通したことから、水道町の名が生ま
れました。
今日では、国道三号線と電車通りが交差するなど
市内で最も交通量の多い区域の一つとなっています。
左面
平成九年
熊本市
通町筋の北側歩道にある石碑。気をつけてみると、結構たくさんある。
水道町の由来
この一帯は、加藤清正が熊本城の東側に開いた武
家地の一つで、宝永四年(一七〇七)頃、白川の小碩
橋付近から、坪井川の厩橋付近まで防火用水路として
の水道を引いたとき、現在の藤崎八幡宮参道付近から
この辺に水路を通したことから、水道町の名が生ま
れました。
今日では、国道三号線と電車通りが交差するなど
市内で最も交通量の多い区域の一つとなっています。
左面
平成九年
熊本市