通町筋の石碑

 通町筋の北側歩道にある石碑。気をつけてみると、結構たくさんある。

水道町の由来」




  水道町の由来
 この一帯は、加藤清正が熊本城の東側に開いた武
家地の一つで、宝永四年(一七〇七)頃、白川の小碩
橋付近から、坪井川厩橋付近まで防火用水路として
の水道を引いたとき、現在の藤崎八幡宮参道付近から
この辺に水路を通したことから、水道町の名が生ま
れました。
 今日では、国道三号線と電車通りが交差するなど
市内で最も交通量の多い区域の一つとなっています。



左面

 平成九年
  熊本市


「元城東小学校跡」




元城東小学校跡
 昭和三十三年建之


熊本市立実科女学校・熊本市立高等女学校跡」



 場所は上に同じ。石碑正面が車道を向いているのは、いいのかわるいのか。歩道からみてもなんの石碑か分かりにくい。あと、学校の記念碑って、結構あちこちにあるな。同窓会が金出すから、作られやすいのだろうけど。


裏面

創立七十周年記念
 昭和五十六年建之
 熊本市立高等学校同窓会


熊本県立第一高校跡」



 通町筋から少し入ったオークス通りにある石碑。


左面(写真の面)

戊申詔書渙発記念の楠



右面

昭和五十八年十月
 第一高校同窓会
  清香会建之



裏面

明治41年当時の県立高等
女学校の職員と生徒により
植樹されたものの一部である