伊藤章治・岡本理子『レバノン杉物語:「ギルガメシュ叙事詩」から地球温暖化まで」

レバノン杉物語―「ギルガメシュ叙事詩」から地球温暖化まで (桜美林ブックス)

レバノン杉物語―「ギルガメシュ叙事詩」から地球温暖化まで (桜美林ブックス)

 レバノン杉を題材に、人間と森林の関わりについて述べた本。レバノン杉と言えば、古来地中海世界では建材として珍重されてきたもの。現在では、ごく一部の保護林に生き残っているのみという。本書では、現地の訪問記、レバノン杉の歴史、日本との関わり、秋田杉や屋久杉といった日本の森林との比較、レバノン杉の保護の試み、地球環境に問題と森林といったトピックで構成されている。サクサクと読める。日本に持ち込まれたレバノン杉の話が紹介されているが、生態的にはどうなんだろうなあ。こういう生物の地域間移動自体がある面では重大な問題なわけで。あとは、屋久杉とレバノン杉の相似的な運命とか。
 古代から材木としてレバノン杉は利用されてきたわけだが、最終的には古代末から中世にキリスト教マロン派やイスラムドルーズ派が弾圧を避けてレバノン山中に住み、羊を持ちこんだこと。それが新芽を食って打撃を与え、さらには近代の開発や第二次世界大戦時にダマスカス・ベイルート間の鉄道の枕木や薪用として伐りつくされたと聞くと、近代の方がむしろ問題が大きかったのかもなと思った。このあたりのレバノン杉そのもの歴史については、金子史朗『レバノン杉のたどった道』を下敷きに書かれているようで、そっちを読んだ方がよさそうだ。


 以下、メモ:

 戦後も多難な時代が続く。1948(昭和23)年には鹿児島刑務所の囚人50人が、丸太の運搬などの労働に就いた。伐採方法も「伐採量を戦前の水準に戻す」を目標に、皆伐施業となり、小杉谷、宮之浦などで大規模な皆伐が行われ、次々と屋久杉が姿を消した。
 とどめを刺したのが高度成長期の施業(昭和30年代後半-40年代前半)である。屋久島では1958(昭和33)年に編成された施業計画で伐採の考え方を大きく変え、それまで「森林の蓄積を維持できる範囲内」としてきたのを、「一時的に蓄積が現象しても将来の成長によって回復が見込まれる範囲まで」と変更した。それまで伐採を禁じてきた樹齢800年以上の屋久杉も伐採対象となる。これではたまらない。屋久杉の森は無残な姿となっていった。p144-5

 屋久杉って戦後になって破壊されたのか。とんでもないな。

レバノン杉のたどった道―地中海文明からのメッセージ

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レバノンの歴史 (1972年)

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