asahi.com(朝日新聞社):「終わりなき日常」今は 社会学者・宮台真司さんに聞く - 文化トピックス - 文化

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201106270119.html まあ、発展志向の時代が特異だっただけで、常に日常とは「終わりなき」ものだと思うが。かつては、それを祭りなどの行事で分節化していたわけだが、現在はそういうこともないしな。波乱万丈も、それが毎日続けば「終わりなき日常」になりそうだし。

「社会のスタイルを『統制と依存』から『自治と参加』へ切り替えていくことです。日本では17世紀(江戸期)以降、お上による統制とシステムへの依存が社会統治のモチーフでした。そこから脱し、共同体自治を進めるしかない」

 むしろ、江戸時代こそ「自治と参加」の時代だったわけだが。それぞれの農村共同体や町共同体が、独自の法律を保持し、紛争を解決する。江戸幕府の公は、個別の共同体の上に君臨して、それぞれの個別共同体どうしの関係を調整することで、認められた物だし。だからこそ、勝手に税金を上げたり、合意を反故にすると一揆を喰らう。その一揆も非常に秩序が保たれたものだった。
 その「自治と参加」を破壊していったのが、明治以降の近代史だったと言ってよい。秩父困民党なんかは、その潮流の変化を象徴していると言っていいし、さらに第二次世界大戦中の統制経済でそのような方向性は推進された。