Togetter 『レーズスフェント興亡記』と中世ヨーロッパ文化史

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 これはすごいな。一から十まで出鱈目というか。18世紀まで中世に含める人なんて初めて見た。
 大まかにいえば中世というのは、5世紀から15世紀、西ローマ帝国の滅亡からルネサンスあたりを指す。そもそも、ルネサンスの思想家が、規範とすべき時代をギリシア・ローマに設定し、その思想や知識が復活した現在を近代と称し、その間の時代を中間の時代、すなわち中世としたのだから、15世紀より後になるわけがない。近代に入ってからも、16・17世紀と18・19世紀では、割と違いが大きいから、前者を「近世」Early Modernと区別することが多い。時代区分なんて、どこで切ろうが構わないようなものだが、特殊な理解をさも一般的なように言うのはさすがにアレだな。
 まあ、古代・中世・近代という時代区分は、ことほど左様に特殊ヨーロッパ的なものなのだが、マルクス主義歴史学なんかではこれに特別な意味が込められたから、戦後の東洋史学ではこの時代区分をどう設定するかで論争が起きたりしていたようだ。今だったら、そんなのあてはなるわけないじゃんで終了してしまうんだけれど。
 日本では古代中世近代の時代区分が何となく妥当するように見えるのは、天皇制の時代、武士の時代、王政復古というイデオロギーで切り分けやすいからなのかもしれないなと思った。このあたりの史学史については詳しくないので、想像にしか過ぎないが。だとすると、何の気なしに使っている時代区分が、天皇制のイデオロギーにからめとられたものって事になるな…


 基本的人権にしても、中世にその言葉がなかったから存在しなかったという訳ではない。特に生存権なんかはどんなときにも追及されるものだし、財産権にしたって、なるべく財産を没収されたりしないようという考えは割と基本的なもの。生存権を追求すべく、同じ土地の住民が徒党を組んで村落共同体や都市共同体を形成し、領主からさまざまな特権を確保するということが行われたし、自力救済の無法状態を解消するために「神の平和」運動による安全保障の試みが行われたりした。
 だいたい中世ヨーロッパの王侯貴族なんてのは、どっちかというとあまり力のない存在。気ままに税金をかけたりするのは無理。今までにない新しい税金をかけようとすると、裁判沙汰になったり、反乱を起こされたりする。王様にしても、戦争なんかでいつもよりお金が必要な時には、議会を開いてお金を出してもらわなければならない。あんまり無茶をやると、イングランドのジョン王のようなことになる。


 そんなに図式的には描けないというのが、今時の歴史学の中世観。都市にしても、ピンからキリまで、さまざまで、神聖ローマ帝国帝国都市みたいなはっきりした形の都市だけではないというのが、今時は主流だったりする。
 正直、どうしたらこういう中世観が出現するのか理解しがたいものがある。ついでに言うと、阿部謹也の著作って興味深くはあるが、実証的には非常に使いづらいものだったりする。このあたりミネルヴァから出ている『西欧中世史』を読むのがいいと思うが、あれって高校の世界史レベルでは読めないよなあ… 

西欧中世史〈上〉―継承と創造 (MINERVA西洋史ライブラリー)

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西欧中世史〈下〉―危機と再編 (MINERVA西洋史ライブラリー)

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