今尾恵介『地図で読む戦争の時代:描かれた日本、描かれなかった日本』

地図で読む戦争の時代

地図で読む戦争の時代

 本書の最大の欠点は、素材が関東圏に偏っていることだと思う、と言ってみる地方在住者。
 地図に表現された戦争を読み解いていく本。もとは白水社のサイトで連載された地図で読む戦争の時代という同名の連載を本にしたもの。改めてサイトの方を見ると、一部公開に変わっている。本だと、地図が白黒になっていて、多少見にくいのだが。
 本書は「地図で戦争の時代を読む」「戦争の時代の地図を読む」の二つのテーマのもとに書かれたそうだ。前者は、空襲によって破壊された都市が地図にはどう描かれたかなど戦争がどう地図に表現されたか、また、植民地統治や国境の移動などを扱っている。後者のテーマとしては、東京湾口や呉などの要塞地帯が地図ではどう扱われたかや戦時改描など。新宿の浄水場が公園として描かれていた事例なんかが有名だな。最後に、軍事施設が戦後、どのように変遷していったか。
 Web連載時にはそれほど興味をひかれなかったのだが、こうやって見るとなかなかおもしろい。媒体によって感覚が違うというのもなかなか興味深い。


 明確に分けてはいないが、本書は大よそ四部に分かれている。以下、順番に。
 最初は「地図に表された戦争の傷痕」というタイトルで、戦争被害や戦争に伴う改変などを扱っている。空襲に伴う都市の被害状況や建物疎開、不急不要路線として廃止された鉄道や、アメリカの制裁に伴って石油や電力の節約のために廃止された駅の話。市電が、電力の消費を抑えるために、近い駅をスキップする「特急」運転をするとか、その時点で勝ち目がないような感じだな。あとは、輸送力増強のために傾斜を緩和する迂回新線の話。最後のベルリンの瓦礫によってできた小山の話が衝撃的。
 続いて「植民地と領土を地図に見る」。朝鮮の干拓地の入植者の集落に県名が付けられている話や台湾のサトウキビ運搬用の軌道、山岳地帯の「警官駐在所」、あるいは満州国の地図など植民地の状況。鉄道とプランテーションのつながりってのは、まさに典型的な話だな。あとは、戦争直前の地図帳の話や尖閣北方領土のような係争地の話。東ドイツ共産主義関係の人名がついた通りの運命とか。
 三つ目が「地図が隠したもの:秘匿される地図」ということで、軍事的に重要な場所や施設が、地図上でどう描かれたか、あるいは描かれなかったか。要塞地帯や皇室関係者関係の施設が空白に描かれる状況や地図出版の規制。呉市の20万分の1地勢図から、昭和に入って等高線などの地形情報が消えていく様を、明治41年昭和5年昭和17年の地図で見せている。後半は戦時改描の話。軍事施設やダム、軍需工場、鉄道の重要施設などが、昭和12年の軍機保護法の改正に伴って書き換えられる。しかし、本書でも指摘されているが、よく見るとモロバレというか、稚拙な感じのものが多い。あからさまになんか施設がありそうな描き方をしている。そもそも、昭和も12年になってから、あわてて改竄しても、諸外国はもう手に入れているんじゃないかとツッコミを入れたくなる。まあ、結局のところ、米軍は航空写真による詳細な地図を作成していたわけで、後の時代の利用者を困らせる以外の効果があったかどうか怪しいところ。地図が自由に流通しない国はやっぱり駄目だなと思う。
 最後は、「軍事施設はどの後どうなったか」ということで、軍用地の戦後の変遷。軍用地の再開発や、鉄道連隊の演習線や軍需工場の専用線の末路、行田の無線送信所の話など。「焼け跡の街に出現した飛行場」の章で紹介されている、米軍が市街地のど真ん中につくった空港の話がまたすごい。大阪の現在の靭公園の場所や横浜の日ノ出町や黄金町にあった飛行場。いくら焼け跡とは言え、市街地のど真ん中に空港をつくるとはな。まあ、そういうなら戦時体制の日本でも、建物疎開や空港建設で、半ば強制的な接収・買収をやっているわけだから、軍隊の本質は変わらないということか。あと、事例がほとんど関東なのが不満だったり… まあ、こういうのはホームグラウンドでないと書きにくいか。熊本市内では、大江から渡鹿あたりの演習場と健軍の三菱の工場あたりが、まとまった軍用地だな。どちらも、その後の熊本市の膨張のなかで、骨格になっているな。


 以下、メモ:

 よく見ると渋谷区の場合は全部焼かれたわけではなく、主に台地上のお屋敷町は残った所が目立つ。敷地に余裕があって木々も多いため、延焼を防ぐことができたからだろう。この図で「焼けなかった区域」を確かめながら今の東京を歩くと、戦前からの木造の家が今もあちこちに残っており、戦前の東京市の名残を見つけたい人には大いに役立つ地図でもある。p31-2

 余裕のある土地は空襲にも強かったのか…

 東独崩壊直前のこの「秘密地形図」を見ていると、冷戦に直面していた頃の都市の姿が浮かび上がってくるが、東側の山の斜面に鉄筋コンクリートの団地が並ぶ風景は、道路の曲線の形など、まるで東京郊外の丘陵に開かれた団地のようだ。これらの集合住宅が、特に1970年代に大幅に増加する人口を支えたのである。政治学者の原健史氏と作家の重松清氏との対談で構成された『団地の時代』(新潮選書)で、日本の団地とソ連団地の類似性が指摘されているが、その大きな影響下にあった東ドイツ団地の姿を地形図で見れば納得できる。集会所(Halle)や学校が団地の中に配置された雰囲気も似ている。p.138

 おもしろい。