末吉駿一『熊本駅周辺うんちく歴史巡り』

http://mytown.asahi.com/areanews/kumamoto/SEB201012180033.html
 熊本駅から歩いて15分の範囲にある史跡を巡り歩き、紹介する本。熊本市の東部からは、訪れるのに不便なうえに、基本的に行く用事もないから、あのあたりは全然土地勘がない。知識としては、熊本駅の周辺は、古代の豪族建部君の一族の本拠地がほど近く、肥後の国府がおかれた、非常に歴史的蓄積が豊かな土地であるというのは承知しているのだが。そもそも、山ってのは、自転車では行動しにくいから、どうしても避けがちになる。
 大まかには、花岡山周辺、新町界隈、二本木界隈の三地域に分かれる。お寺が多数紹介されているが、お寺って、なかなか入りずらいんだよな。


 そう言えば、本書でも、熊本駅が反対運動の結果、現在の場所に立地するようになったという「鉄道忌避伝説」が語られている。しかし、岡田直「城下町都市における『鉄道忌避伝説』をめぐって:盛岡と熊本の事例」『地方史研究』53-4、2003では、駅立地に関する新聞記事を元に、特に反対運動がなかったこと。新町の高麗門付近、段山周辺、現在地と三つの候補があり、そのなかで最終的に地盤や土地の確保の観点から春日村付近に決まったと指摘している。
 当時は、古町も中心市街地の一角であり、水運との接続や土地の確保を考えると、必ずしも不合理な選択ではなかったのだろう。技術的にも、熊本の西側を通す方が無理がなく、そちらの方が合理的だったのだと思われる。しかし、すでに早い段階から、熊本市は東の方向に向かって拡大する動きがみられていたわけで、都市計画の観点からは相当に不合理な選択だったともいえる。技術的な事情を知らない人間だと、むしろ「鉄道忌避伝説」の方が納得しやすいとも言えるのではなかろうか。
 青木栄一『鉄道忌避伝説の謎』では、路線の設定が純粋に技術的な観点から行われたことが分かるが、一方で全国に同じような「伝説」が流布している理由については、いまいち突っ込めていないような気がする。このような伝承の発生を、不正確な知識から出たものと捨ててしまうのではなく、なぜこのような伝承が発生し、全国的に均質的に存在するのか、その観点から追求する必要もあるのではなかろうか。