「船場神社之碑」

 新町の南のはずれにある小さな神社の創建の由来を記した碑。微妙に読めていないが。
 富重写真館の人が関わっているのが興味深い。





船場神社之碑


加藤清正之臣貴田孫兵衛坪井に投網の際不図天神の
尊像懸りしが之を元の川中に投せしに翌年再び其尊像
を網中に得し○以て遂に奇瑞を感じ之を拾揚し其淵辺
に小祠を建て之を祭祀するに至れりと伝ふ里俗之を呼
て藪天神と称す天台宗不動院之を支配せしが延宝七年
正月三日夜時に不動院住持快旭法印霊夢を感じ神体を
夜半に不動院へ移しけるに同十五日近隣に火失ありて
其社壇類焼す其後社を建て遷座すと云う爾後明治の末
町総代富重利平翁之時亦今の地に三遷せられし者にし
て按ずるに数々の霊験に徴し里民の崇敬篤き亦故あり
○云うべし○に富重徳次渡辺小次郎の両氏其由来湮滅
せむ事を慨し碑を建て後世に貽さん事を計られ余に文
を徴せらる余生を此地に享けし者仍不文を顧みず概畧
を誌す事爾り焉
 皇紀二千六百年祝典日
 昭和十五年十一月十日  丹邊楽山撰並書