加藤清正って虎退治と熊本城だけの二発屋だよね

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 いや、近世以降の熊本の骨格は加藤清正が作ったといっても過言ではないレベルなのだが。肥後国一揆で在地の勢力がほぼ完全に消滅していたのはあるんだろうけど、主要河川の河川改修や水利施設の整備、熊本城下町の形成なんかで、現在の熊本の地理的な形は、この時代にかなり形成されている。戦国末期の島津の侵攻と肥後国一揆で、疲弊していたらしいし。
 賤ヶ岳の七本槍や朝鮮での戦争でも活躍しているし、軍事的能力も高い。普請も一流。行政はちょっとわからん。そもそも、あんまり熊本にいなかった人がどのような民政を展開したのか。つーか、この時代の「行政」といったものが、現在の感覚とはずいぶん違うだろうし。
 後継者や部下の育成には失敗しているが、まあ、ワンマン社長みたいなもんかな。急激に石高を増やしていったから、そのあたりでも安定した状況を作れなかったのかもしれない。家臣団も出自を見ると、寄せ集めだし。