藤山新太郎『手妻のはなし:失われた日本の奇術』

新潮選書 手妻のはなし 失われた日本の奇術

新潮選書 手妻のはなし 失われた日本の奇術

 伝統的な日本の奇術についての歴史を、実演者の立場からまとめたもの。古代の散楽、中世の猿楽や放下から江戸時代にかけて各芸能が分解していく中での手妻の形成。江戸時代前期の興行の状況や伝授本の隆盛など。江戸時代後半の現在継承されているものの、直接の始祖となる芸の発生。柳川一蝶斎と「蝶」や養老瀧五郎・吉田菊五郎中村一登久による「水芸」の形成。
 明治初年、欧米で大いに評価され、海外で盛んに興行を行い、収益を挙げた黄金期。「水芸」はこの時期に、ゴムホースの導入などで完成をみたという。そこから急転直下、明治半ば以降、欧化政策や小屋掛けから劇場への移動、西洋奇術の人気といった芸能分野の激変のなかで、急速に衰退する和風の手妻。そのなかで、細々と継承されていく手妻の技。
 昭和40年代にはかろうじて、明治の最盛期の芸を継承している人が生きていて、その人達からの聞き取りが重要だったという。著者が聞き上手だったのだろうな。

 実際の火渡りは、初めに地面を少し掘っておいて、そこに水を張って水溜りを作っておく。その上に薪を梯子のように組んで、水溜りを隠すように並べる。その上に更に薪を並べて火をつける。火は下火になってから、上から清めと称してたくさんの塩とカンスイを撒く、これは熱を下げるのに有効らしい。その上で梯子の隙間を縫って水溜りを歩く。火はほとんどないし、下は水だから足は熱くはない。なぁんだ、それなら出来ると思ってはいけない。それほどしても熱い時は熱い。下手をすれば大やけどをする。
 前述の刀の刃渡りも、私の聞いた話では、これを実践して足の裏を切ったアマチュアマジシャンがいた。その人はマジックショップに来る度に杖を突いていた。聞くと、若い頃刃渡りを真似して失敗したと言う。刀はまっすぐ上から乗れば切れないと書いたが、人のする事だから、乗る瞬間や移動する時にどうしても余計な動きをしてしまう。その人は刃の上に乗った瞬間に身体がいきなり二〜三センチ、ズンと下がったのが分かったと言う。その後は意識不明になり、気が付いた時には病院にいた。以来ずっと杖を突いている。一度失敗すれば生涯ハンデを背負うのが危険術だ。良い子の皆さんは決して真似をしてはいけない。p.29-30

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 ついつい話が脱線してしまった。江戸時代の日本は長い平和な時代だった。そのお陰で芸能が発達し、極めて高いレベルになった。しかし、そうした芸を育てたのは市井に普通に生活していた庶民なのである。欧米の芸能の見巧者は殆どの場合は大富豪や貴族だった。ところが、日本の文化文政期に芸能を支えた観客は、必ずしも金持ばかりではなく、下級の侍であったり、職人であったり、商人だった。商人と言っても店も持たない担ぎ売りの小商人であったりした。そうした江戸に生きた人々が何を夢と思い、どんな手妻を求めたのだろう。「江戸の夢」とは、果たしてどんなものだったのだろう、その話は次の章「柳川一蝶斎と『蝶』」で詳しくお話ししよう。p.195-6

 江戸時代の文化的達成ってすごいんだよな。現代がまったくかなわないレベルで。園芸関係でちょっと本を読んだりしているけど、品種改良なんかも含めて。変化朝顔とか、肥後六花とか。


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和妻悉皆屋:藤山晃太郎オフィシャルサイト お弟子さん。なにやらニコニコ動画で大活躍らしい。
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ニコニコ動画と伝統芸能を結びつけた立役者、藤山晃太郎氏の軌跡