山口文憲『日本ばちかん巡り』

日本ばちかん巡り

日本ばちかん巡り

 様々な新宗教の拠点を巡ったルポルタージュ。それぞれの教団のたたずまいが個性的で、非常におもしろかった。ここで取材に応じた教団ってのは、かなり開放的なくちなんだろうな。創価学会なんかだと、絶対無理そう。単行本に収録する時点で、教団側からの要望も入れてだいぶ改めたようだから最初はどうだったか分からないが、手かざし系に対してだいぶ皮肉っぽい感じがする。世界救世教とか崇教真光なんかが。やはり個人的な好き嫌いはあるのだろうな。あとは西日本の教団が多い印象。関西から中国、九州、沖縄の教団が、東京から東より多いように見えるが、これは何を反映しているのだろうか。
 本書では、最初にオウムの旧サティアン跡地の探訪から始まっているが、本書を読み終わると、オウムのあの建物が、日本の宗教風土の中でいかに異質だったかがわかる。たいがいの宗教がなんだかんだ言って、それなりの美意識で本拠地を形成しているのに対して、あの殺伐としたというか、汚らしさは独特な感じ。麻原の視力が弱かったことはひとつの要因かもしれないし、財力もほかの教団と比べると大したことがないように見えるし。あと、なんとなく学生運動とか、あっち系のカルチャーな感じもする。


 以下、メモ:

 これから、午後四時四十分の「お退け」までの十三時間を、教主は原則として毎日この広前会堂で過ごすことになる、金光教の教主は一日中本部広前にいて、信者たちに「取次」ということをしなければならないからである。金光教は、「取次の宗教」ともいわれていて、信者も教団も、この取次ということをたいへん重要視している。だからこそ教主も、相当な時間と労力を毎日これに注いでいるわけだが、実際にはどういうことをするのかというと、ようするに、信者が持ち込むよろず相談ごとのお相手である。
 教義的にいえば、文字通り、神と人とを取り次ぎ、人と神とを取り次ぐこと――これが取次の本質だが、しかし金光教では、取次人が、ことさら神がかりになったりすることもないし、信者に対して神のご託宣を下したりすることもない。教主は、あくまでひとりの導き手として、自身の振興と人間的な力量を担保にして、信者ひとりひとりのカウンセリングに当たるのだという。
 ふつう、それがなに教であれ、こういうかたちで信者と教主の間に直接の対話が存在するのは、宗教の草創期に限られる。ところが金光教では、教祖の時代からすでに百数十年を経たいまでも、教主と一信者との直接のコミュニケーションを、取次というかたちで、ちゃんと保証しているのである。そんな牧歌的な大教団が、ほかにあるだろうか。
 しかも教主との面会には、事前の手続きも予約も何もいらない。信者が思い立ったときに広前会堂へ出かけてゆけば、いつでもそこに教主が座っていて、誰でも親しく「お取次をいただく」ことができるのである。p.73-4

 金光教の「取次」。なかなかいい話だ。教団の長も簡単ではないということか。毎日が力量を試されるってことだしな。

 浄霊のおかげでガンが消えた、視力がもどったという類のおわゆる「おかげ話」が、世界救世教の周辺にはゴロゴロしている。教団関係者の話によると、ブラジルの信徒組織は、あちらではすでに深刻な問題になっているエイズの救済に取り組み、患者に浄霊の取り次ぎをしているという。これまでのところ浄霊を受けたエイズ患者の死亡率は約七〇パーセント。一般の死亡率からいうと、この数字が、すでにおかげ話の対象なのだという。p.119

 えぇ〜っ。これって、患者をほとんど放置しているってことなんじゃ。どこがおかげ話なんだ。世界救世教は近代医学を忌避するところが非常に危ういな。
 最近は見なくなったけど、90年代初め頃は幹線道路の信号待ちのタイミングで襲来するから非常に迷惑だった。

 教主はひとが変わったように無言で、両足を踏ん張りながら畳の上を一歩一歩ゆっくりと進んでゆく。祈りとも叫びともつかない声が宴会場に交錯して、しわだらけの手が、道服の袖や肩をつかむ。かぼそい指が、厚い胸や腰を撫でまわす。すがりつく信者は、悲痛と恍惚のいりまじった表情をして、はじきだされても振り切られてもまた追いすがった。これは、迫力がないどころではない。
 私は、そこから数メートルのところをゆっくり移動しながら、まっぱら教主だけに注目していた。すがりつかれる「人間」の表情だけをみつめていた。柔和な表情ではないが、かといって、強い表情や厳しい表情でもない。しいていえば「かなしい」表情だろうか。「救い主」は、両手と上半身に七、八人も信者をぶらさげながら、ときどきふと天井へ目を泳がせて、心ここにあらずといった、うつろな顔になることがある。その瞬間が、私に最も強い印象を残した。p.177-8

 善隣教の「おすがり」。病などに悩む信者が、教主の当該部位に文字通りすがりつく。この即決の救済が特徴らしい。しかしまあ、すがりつかれる方は大変そうだなあと。この間、何を感じているのだろうか。

 では、男女の出会い、恋愛と結婚についてはどうなのか。こちらもまた逆の意味でなかなか過激で、ひとことでいえば、教団の原則は「反恋愛」。恋愛は、ひとがつとめて清浄に保つべき六魂(惜しい、欲しい、憎い、かわいい、好いた、好かれた)のうちの最後のふたつに抵触し、「邪心のおもちゃ」になることだとされているのである。
 大神様はこう看破している。
「蛆の国じゃあ、縁もゆかりもない者が顔と顔を見合うては、邪心のおもちゃになって、好いた好かれたでいちゃつき合うて、餓鬼のような子をこしらえて、国賊乞食の子を育てておいては、しまいには喧嘩別れするようになる」
 最近の世相にてらせば、これはまことに鋭い洞察力というほかない。天皇を蛆虫といい、元号を拒否し、戦後の混乱をむしろよろこんだ教祖だが、恋愛については戦後の風潮に強く待ったをかけた。教祖が理想としたのは「神の国の結魂(結婚)」である。
神の国の結魂は、好きでも嫌いでもないものが、因縁と因縁を見ていっしょになって、互いに行の相手として共々に磨き合い行じ合って、年をとるにつれて、いよいよ一心同体になるように行じて行くのじゃ」
 これは、サヨの人生体験に根ざした、一種の自己肯定というものだろうか。その結果、教団のなかでは、教祖が生きた戦前の山口県の農村における良識と規範が、おそらくは当時もなしえなかった程度の高い水準で実現することになったのである。
 それでは、そろそろオレもヨメさんを、そろそろ私もムコさんをという適齢期の信者たちは、どうすればいいのか。なにしろ、「好きでも嫌いでもないもの」がいっしょになるのが原則なので、教団の中で意気投合した男女が夫婦になるということは、「神の国の結魂」を望むかぎり、ありえない。
 規則によれば、「結魂」を希望する信者は、まずその旨を支部長を通して教団に申し出る。すると、しかるべきマッチメイキングがなされ、この段階で本部の若神様が両者の「因縁」をみる。そしていよいよお見合いということになるが、もちろん当事者にも一般的な拒否権がないわけではない。「好き」なタイプは論外だとしても、かといって「嫌い」なタイプもやはりまずいからである。
 たしかに、いまどきまさかという方式ではある。しかし、戦後五十年、「好いた好かれたでいちゃつきあう」のが当たり前になり、正義や人権になてしまった現在、この教団の結婚観は、一周遅れで案外先頭を走っていることになるのかもしれない。p.226-7

 かつては「踊る宗教」として有名だった天照皇大神宮教の話。この教団、墓や先祖供養の類は全部拒否、上記の引用の通り恋愛も禁止というなかなかハードコアな宗教。世間との折り合いがつきにくいので、信者たちで会社を起こしたり共同体を形成している様子。何がすごいって、自然増で信者を増やしているあたりがすごい。

 しかし、中世以来つづいたこの御師の制度は、「王政復古」「政祭一致」の号令のもとに断行された明治四年の神宮改正で、一挙にくつがえされることになる。同時に代々世襲で両宮の神職をつとめてきた由緒ある神主家も神宮から追い払われ、変わって中央からやってきた官吏の神職が神宮を掌握した。こうして日本で最も進んだ自治組織をもった豊かなサービス産業都市は一夜にして壊滅し、お伊勢参りの地は、国家神道の神都に変貌する。宇治と山田の住民にしてみれば、これは共産主義政権が出現したにひとしい社会の激変だったにちがいない。p.278

 はっきりいって、国家神道って外道だと思う。


 ほかにも、生駒山系の宝山寺石切神社、朝鮮寺などの信仰、青森の松緑神道大和山の山中の共同体や、琉球ナショナリズムを中心とする沖縄のいじゅんなど、興味深い教団を訪ねている。
 本書で朝鮮寺の見学の仲介をした龍王宮の管理人は亡くなって、龍王宮は取り壊されたそうだ→龍王宮の管理人さんは急逝されていた。下の文献紹介は要チェック。