川村湊『牛頭天王と蘇民将来伝説:消された異神たち』

牛頭天王と蘇民将来伝説――消された異神たち

牛頭天王と蘇民将来伝説――消された異神たち

 うーむ、かなり時間がかかったな。10日ほど? 途中で漫画に浮気したりしていたせいもあるのが、とにかく良く分からない固有名詞の嵐がきつかった。紀行文的な性格のある本だけに、一貫した流れが見い出しにくいせいもあって、なかなか推進力が出なかったというか。
 牛頭天王に関しては、熊谷市籠原:夏祭り 〜消えてしまった牛頭天王の系譜〜で興味を持った。かつて広く信仰されていた牛頭天王という神が、神仏分離によってほとんど跡形もなく消されてしまったという異様さ。本書内でも、何度も「狂信者」呼ばわりしているけど、まさにそうだよなあ。そもそも、小規模の神社に記紀神話の神名が祭神として挙げられていても、どうも信用し難いし、ありがたみもないというか。実際、こうやって信仰されていた神を勝手に改変したという行状をあからさまに見せられるとな。中近世に大きく変化した神話や神を、強引に復古したのはアレだなあとしか。中世に出現したさまざまな神のほうが魅力的だと思うのだが。


 全体の構成は四部に分かれている。第一部は広島の広峯神社から京都の祇園社への流れ。第二部は愛知の津島神社。こちらは対馬から直接やってきたという別の伝承を持つ。第三部は比叡山日吉神社神道密教高知県物部村のいざなぎ流に見られる牛頭天王の痕跡。第四部は東北の蘇民祭について。黒石寺の蘇民祭についてはしばらく前のポスター問題が記憶に新しいところ。
 とにかくさまざまな要素が習合しまくっていて、サッパリわからないというのが正直なところ。もともとは『備後国風土記』の武塔神蘇民将来の説話から始まって、行疫神を祭り上げるために京都の祇園社に祀られる。牛頭天王という名前が出てくるのは12世紀に入ってからだとか。スサノオ祇園神との習合。朝鮮半島の巫女や忘れ去られた牛を犠牲に捧げる信仰や儀式との関連。とにかくも、さまざまな信仰やご利益、記号の共通性から、いろいろと習合しまくっていて門外漢には理解不能というか、覚えきれない…
 全国に牛頭天王の信仰の痕跡や蘇民将来の札が広がっているのが興味深い。と同時に、私の身の回りでは特に見た覚えがないのだが、熊本には広がっていないのだろうか。うーむ。ちょっと検索かけると、熊本県内にも八坂神社がいくつかあるから、まったくなかったわけではなさそう。北岡神社がもともとは「祇園社」だったのだな。つーか、そのまま蘇民将来を祭った摂社があったり、蘇民将来の護符を販売しているのだな。


 しかし、こういう中近世の信仰を扱った本を読んでいると、明治維新時の廃仏毀釈と祭神の捏造は酷いな。あげくに小規模なお社を無理やり統合したり。むしろ信仰破壊行為というか。「一神教は不寛容」とか言うが、神道もたいがいだな。権力と結託した宗教という点では、キリスト教と似た感じだな。気にいらないもともとの信仰を抹殺しまくったあたりでも。


関連:
牛頭天王信仰とその周辺
「蘇民将来符」の授与元と門口に掲げる地区を教えて
西浦荒神社:荒神様 熊本市内でも「荒神さま」は見かけたことがあるような…


 以下、メモ:

 祇園で生活する人たちには、祇園は特別ではない、日常の生活のなかにいつも生きている信仰(それは慣習や習慣といってもよい)にほかならないのだ。それはすっかり祇園という町の産土の社として定着している。商売繁盛、家内安全、無病息災、失せ物、待ち人、縁談、家移り、旅立ち、そして病と怪我。神々に問いかけること、祈願することは多かったのである。祇園祭だけではなく、四季折々の祇園の姿があり、それは千年以上にわたっていつも“そこ”にあったのだ。
 だが、その由緒や由来、縁起や起源について知っている人は、参詣客はもちろん、地元の人の中でも千分の一、万分の一ほどもなく、ほとんどの人は何も知らないといい切っていいかもしれない。それには理由がある。八坂神社には、その本来の祭神や信仰を隠蔽しようとしてきた歴史があるからだ。隠蔽といういい方は穏やかではないかもしれないが、八坂神社という社名自体が、一八六八年(明治元年)の神仏分離令以後の神道国教化以降のものであるということを知れば、それは必ずしも不穏当とは言えないだろう。p.31-2

 牛神について伝承されている伝説や昔話は、ほとんどないが、本当の祭神は保食神だとも素戔鳴尊だという人もおり、牛瀧山の神は大威徳明王だともいう。「牛神は大木、殊に松の老木の人をして仰がしむるものが多い」としており、明治二十一年の年号のある石碑には、「牛神号、一之老松有、世人名而千年樹」と刻んであったという。この牛神に関して、牛が倒れたので、近くにあった地蔵様に祈ったら息を吹き返したとか、(牛塚、牛石の)塚の上の石を切ったら血が流れ出て、麓の池に入ったのでこれを血の池という、といった断片的ないい伝えがあるが、これなどは「殺牛儀礼」の痕跡を示す口碑であるといえるかもしれない。まとまった形の古い伝承はすでに滅びてしまって跡形もないと、高谷重夫は語っている。それには明治末の神社合祀が大きな影を落としている。小さな祠や社を整理すると称して破壊し、由緒や祭神に関係なく、無理矢理に近所のいくつかの社、祠を合祀して、その信仰の意味を失わせてしまった、明治初めの神仏分離と、明治末の神社合祀とは、明治日本が行った「神の国・日本」の破壊行為に他ならなかった。p.150

 むしろ、神道と関わりのなかったお地蔵さんの方が、そのあたりで破壊行為を免れているな。

 こうした例から見ても、牛頭天皇蘇民将来が完全に忘れられたわけではない。しかし、神社本庁が管轄する祭神や由緒において、表面上は彼らの痕跡すら消そうという意思は継続されており、国家神道の時代とさほど変わらないほどに神々のヒエラルキーは維持されているといわざるをえない。何よりも、さまざまな意味において、牛頭天王という神格が、両義的なものであるということを忘れることはできない。破壊者であると同時に守護者。行疫神である同時に防疫神。殺戮と破壊を実行する魔神であると同時に、人々の生命と健康と繁栄を守る福神であるのだ。p.377

 調べれば調べるほどに。牛頭天王蘇民将来、婆梨采女といった神々を人々の信仰と歴史の表層から消滅させ、跡形もなく湮滅させようとしてきた国家神道の意思の“力”を犇々と感じざるをえなかった。“消された異神たち”の無念さや遺恨が私をして一気呵成にこの本を書かせた由縁ではないかと考えざるをえない。不思議なことに資料や参考文献にはほとんど苦労することなく(いつもはひどく苦労するのに)、まるで、向こうから私に“読まれる”ためにやってくるようにさえ思われたのである。p.387