浮島熊野座神社の石造物

 古くからある割に、石灯籠なんかで江戸時代にさかのぼるものがないのは、水害のせいか、処分しちゃったのか。


石灯籠

 これは明治39年奉納のもの。他に古そうなものはあまり見当たらない。


馬頭観音

 摂社の稲荷社と同居。年紀は不明。


「浮嶋溜池水量協定并溜池境内編入紀念碑」

 浮島ため池の水利に関する協定を刻んだ石碑。大正14年のもの。水田への給水が、この時代には重要だったのだな。あと、現在は見あたらないが、この時代、水車がどの程度あったのだろうか。右面は、逆光と植え込みで近づけなかった結果、判読できず。断片的に読めるところからすると、ため池の境内編入に関連する文章のようだ。



正面

浮嶋溜池水量協定并溜池境内編入紀念碑



左面

   地方田甫給水に関し左記条項を協定し向後
   疑念を除かんが為に茲に表示す
一字川久保樋敷石より立石に分限し高さ五尺四寸八分を量り其の余水を
 以て水車営業を為さしめ本水源関係水田一統の満水を計り何時たりと
 も干田を認めたる時は水車を○止せしめ地方田甫の給水に便ならしむ
 る様営業者に於いて○○○○○○○事
一向後何人たりとも当水車営業を為すものは右の条項を承知の上就業せ
 るものと見做し不承知の○を以て之に違反することを許さず以上



裏面

大正十四年十二月建設
        大字井寺区民


「御造営記念」碑

 寛保3年築の前社殿が老朽化して、修復もできないレベルだったので、平成4年に新築したって話。宮司さんの名前がなんというか、すごい。



裏面銘板

寛保三年御造営された旧社殿は約ニ
五〇年の永きに亘り祭祀厳修の場と
して尊崇されてまいりましたが、腐
朽損傷はなはだしく補修さえ不可能
となり昭和五十八年氏子中により御
造営の計画が立てられ九年に亘る御
造営奉賛活動によって平成四年四月
十一日、夜、正遷座祭、翌十二日落
成大祭を盛大に奉仕し御造営の大事
業を完遂し此処に記念碑を建立する
ものであります。
  平成四年十二月吉日 建立

 御造営奉賛会々長 川端 脩
  理事長     高木勝
  理事
     工藤勝利 境野 修
     中村康直 津出増雄
     中川 泰 志水秀敏
     甲斐原真直河原利博
     桑原啓輔 増永徳男
     後藤卓蔵 村井幸人
     高松不可止坂口正則
事務局長 宮司 井王三郎直毘