マーク・ライスナー『砂漠のキャデラック:アメリカの水資源開発』途中放棄

砂漠のキャデラック―アメリカの水資源開発

砂漠のキャデラック―アメリカの水資源開発

 土建国家アメリカを告発する本、といった感じか。
 水資源の確保という名目で行われる凄まじい非効率。まあ、この手の巨大プロジェクトってのは、政治関係で、わけわかめになるのが必定なのかもしれないが。高地の寒冷な牧草地を灌漑するために、渓谷地帯の最良の農地が水に沈む矛盾。西部の高地の農民への大規模な「補助金」となっている状況や独占土地所有者と結託した利水計画の問題、ロサンゼルス市の他の土地を食いものにする水資源開発などなど。ある面では、砂漠で暮らすということがわかっていない人々ってことなんだろうなあ。
 とりあえず量大杉なうえに、風邪での中断や返却期限の関係で、断念。

 太平洋沿岸の人口密集地と、エルパソアルバカーキ、ツーソン、デンバーといった、たまに見られる砂漠の中の大都市を除けば、西部を車で1500キロ走って出くわす街の数はニューハンプシャー州を走っている時より少ない。西部の住民は、自分たちがここに築いたものを文明と呼ぶ。が、それは足がかりとでも呼んだ方がより正確なのではあるまいか。そして歴史に照らしてみるなら、我々がそれを維持できる可能性は低いと考えざるを得ない。古代には数多くの砂漠文明が登場したが、現代に至るまで途絶えることなく生き残っているのはたった一つだけだ。そのエジプトの灌漑のやり方は、それ以外で行われていたものとは、根本的に異なっていたのである。p.3

 1930年には、サンウォーキン・バレーでは60万ヘクタールの土地が灌漑されていた。地下に林立する2万3500の揚水パイプから大量に地下水を吸い上げたため、灌漑は3.40年で終わりを迎えると予測された。所によっては、地下水位が90メートル近く低下した。これは自業自得であったが、農家は自らを責める気はさらさらなかった。ハリウッドが不倫やら麻薬やらで流行の発信地となるずっと前から、サンウォーキン・バレーには罪の意識とは無縁なライフスタイルが定着していた。100世紀分の地下水を一世代半で枯渇させてしまった彼らが取った行動は、あらゆる圧力団体の常套手段だった、普段馬鹿にしている政治家のもとに馳せ参じ、頭を下げて救済を求めたのである。p.172