隈研吾・清野由美『新・ムラ論TOKYO』

新・ムラ論TOKYO (集英社新書)

新・ムラ論TOKYO (集英社新書)

 うーん、「ムラ」というのの定義が独特すぎて、読んでいるあいだじゅう違和感につきまとわれる。「ムラ」の概念が微妙に揺れているようにも感じるし。あと、第一回の下北沢と第四回の小布施の部分は興味深かったが、高円寺はちょっと。「軍隊の磁場」に対するカウンターカルチャーというのが、どうにもピンとこない。東京の地理感覚がまったくないからなあ。


 どうも、ムラの定義が揺れている感じも気になる

 レヴィ=ストロースの考えの中で僕自身が最も共感を抱くのは、彼が本物とニセ物の社会とを、はっきり区別したことである。五〇〇人程度の成員からなる、お互いが顔を見知った人々からなる社会を、彼は本物の社会と呼んだ。その五〇〇人は、属性によって社会を構成しているわけではない。男であるとか女であるとか、あるいあ収入とか趣味とかの属性によって成立する社会はすでにしてニセの社会である、とレヴィ=ストロースは断言した。本物の社会は、属性によってではなく、ある時間の継続の結果として属性を超えて出現すると彼は定義した。それこそが、本書でいうところの「ムラ」である。そのようにして、属性によって構成される共同体とムラとを峻別したところに彼の決定的な新しさがあり、それが彼の共同体論をそれ以前の共同体論と区別する。p.176-7

だって僕たちは、「最先端の感性とネットワークが集まる磁場」を「ムラ」と定義して、ハンティングしているわけだから。p.210

後者のような存在を、普通は「マチ」とか「マチバ」って表現するのではないだろうか。前著が「都市論」だったから、コントラストを出したかったのだろうけど、そこが混乱のもとになっているような。


 例えば、最後に取り上げられている小布施の中心部について、

清野 そうですね。だから、それが核心ではないですね。では何か。少し矛盾した言葉で言うと、この町の「都市性」なんです。町の面積は約二〇平方キロメートル、人口一万一〇〇〇人あまりの小さな町ですが、小布施は町の中心地に、日本のどの都市よりも都市的な感性が凝縮されている気がします。p.187

と述べているが、そもそも現在観光客が集まっている小布施堂周辺は、造り酒屋や菓子屋などの商店があることからも分かる通り、近世史では「在郷町」や「在町」と言われる、「都市的な集落」なのだから、それは当然なのではないだろうか。地域の中心であり、外部との結節点であった、そこに都市的なセンスがあるのは当然ではないかと思う。
 全体的に「ムラ」といいながら、「都市的な場」を追っている感じが、違和感のもとだと思う。


 序章の「空間の商品化」などの解説も興味深かったが、ちょっと読み直すのが面倒なのでパス。


以下、メモ:

隈 初期費用が十六万円で店が開ける、ということは大事な話ですよね。都心のビッグプロジェクだと、何千万円もないと店が開けないというのがなぜか常識になっていて、そうなると、参入できるのは背後に大きな本体なりネットワークなりがあるところだけになる。
清野 それで、どこでも見かけは少しずつ違うけど、結局、同じ印象、質感の店ばかりになっちゃっていますよね。
隈 巨大な再開発エリアほど退屈になるという“例の”構図。松本さんはそのアンチテーゼを実践し、思想にまで深めているといえる。p.106-7

 自営業参入のハードルが上がっているという話。昔は行商や移動販売がその隙間を埋めていたんだけど、時代が違ってきているし。飲食店では、いまだにそれなりに存在するけど。

 事実、人間は工学だけ、メディアだけではやがて満足できなくなる。工学と自分の身体とを媒介する具体的な「場所」がほしくなってくる。人間の身体は、好むと好まざるとにかかわらず、初めからどこかの場所に「いる」。その場所そのものが、メディアと身体を媒介する。居場所がない、と嘆く人は、メディアだけに気を取られていて、自分が今いて、その自分をつなぎとめている大事な場所に気づいていないだけなのである。p.126

 前半はその通りだと思うが、後半はどうなんだろう。どんなに通信が発展しても、人が集まるイベントの力は揺るがないのだろうな。

隈 新自由主義のアンチテーゼとしてムラが語られる時って、どうしてもキレイごとばかりになりがちでしょう。
清野 大地の恵みとか、自然との共生とか、サスティナビリティ(持続可能性)とか、ロハスとか。
隈 でも人間の欲望は、食欲にしても、性欲にしても、そういうキレイで前向きなことにあこがれる一方で、キレイではないこと、後ろ暗いことに、どうしようもなく向かうものでもあります。持続可能性とよく言いますが、その原理の半分は、人間のヘンタイ性の持続可能性のことだ、といってもいいくらいで、その、もう一つのダークな面を語らずして、「ムラ論」なんか成立しないと思うからです。コミュニケーション論も、コミュニティ論も、実際には人間のヘンタイ性と深く関わっているわけで、二〇世紀のコミュニケーション、コミュニティに関する議論は、今から見ると全部キレイごとです。p.129-130

 確かに。

清野 そう。そして二一世紀になって、それら「弱い男」あるいは「負ける男」という階層が社会の表面に浮上した。彼らは総理大臣から町の通行人に至るまで、グローバル競争時代の国際社会には打って出られない、そもそも打って出ることの必要性も動機も内側に持っていない。
隈 そういうと、だから日本は弱くなり、ダメになるのだ、という論調にいきがちですが、僕は、日本の生き延び方として、それはアリだと思う。弱いままの自分を逆手に取って、無駄に争うことなく、相手を適当にほだして、快適に生きていく、っていう芸当。p.154-5

 生き残り戦略としては、実はあんまりガンガン勢力拡大政策やるより、利口な戦略だよな、それって。

清野 だとしたら、大規模再開発の考え方の順序が逆ですよね。秋葉原は世界的に有名な町である。だったら大規模再開発がよいだろう、と。
隈 そこに問題があります。秋葉原の魅力は今も昔も場末のバラック性と、それがゆえの祝祭性にあるわけで、その主役は誰かといえば、ドロドロしたものを持った村人です。そこに大きなビルと浄化された市民を持ってきても、村人と溶け合うことはできない。p.162

 秋葉原の再開発の評価。まあ、秋葉原もそろそろ賞味期限切れみたいなことは言われるが…

清野 「昔からの建物を移築、曳き屋などで、極力活かす」「土地の売買は行わず、賃貸を基本とする」「新築が必要な場合は、再編によって生じる賃貸収入を新築費用にあてる」といったものです。
隈 それって一九八〇年代の初めですよね。同時期に日本各地で行われた「再開発」と、まったく逆張りの発想ですね。あのころは、とにかく古いものは壊して、新しいものをどんどん建てることがいいとされた。建物を新しく建てて私有する、という欲望をエンジンにして国土を再編成しようっていう「日本列島改造」の時代だったでしょう。そんな時代に、「移築」とか「曳き屋」とかいう言葉が、よく出てきたなあ。
清野 高度成長時代の流れでいうと、一区画全体を、お上なり、企業なり、とにかく力のある者が一括して地上げして、古い建物をすべて壊して“モダンなハコモノ”を建てて、建設業者がいちばん儲かる、という時代ですよね。
隈 今のグローバリズムの惨状に通じる、私有と新築を基本的なルールとする再開発への批評を、八〇年代に先取りしていたということには、率直に敬意を感じます。p.192-3

 小布施の、小布施堂界隈でおこなわれた「街並み修景事業」に関して。実際、80年代に、そういう発想できたのはすごいなあ。

隈 ゾーニングは、二〇世紀型工業社会にフィットする都市を作るために、二〇世紀のアメリカで発明された、縦割り型都市計画です。工場や商業ビルはうるさいから、静かな住宅地とは区別しようというのが、その基本姿勢で、商業、工業、住宅などそれぞれのゾーンに合わせて、高さ制限や容積率や建ぺい率を決めるというものですが、これはいうまでもなく二〇世紀アメリカの特殊なルールで、普遍性なんてまったくない。なのに日本を含め、世界中がこれを真似しちゃったんですね。
市村 公害が発生するような大規模工業団地はまた話が別になりますが、本来、町というものは、商店も工場も個人宅も雑多に混じり合って共存しているものです。とりわけ小布施ぐらいの規模で、しかも工場といっても栗菓子の製造工場ならば、町中にあってこそ、人の行き来や交流も活発になるはずです。修景事業の前段階では、まず自社工場を新築で作ろう、と決めて宮本先生にお願いしました。宮本先生には、工場にこんなにお金をかけていいんですか、と心配されたのですが。p.206-7

 ゾーニングの話。実際、ある程度、混在した方が活気は出るだろうな。まあ、前近代とは、人間が交通機関で長距離を移動するみたいな、条件の違いが大きいのだけど。あと、悪臭を出すような工場は、中世にも、住居と遠い所に集中されてはいたのだけど。