- 作者: 熊田忠雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/04
- メディア: 単行本
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洋食を嫌う理由として、バターや獣脂の臭いが受け付けないというのは、分かるような気がする。やはり、こってりとしたものを毎日食べるのはちょっときつい。その上、当時は臭いに慣れていなかったからなおさらなのだろう。一方で、アメリカ人も樽で船に積み込んだ醤油や味噌の臭いを嫌っているので、こういうのはお互いさまなのだろうな。塩が薄いという感想が散見されるが、こちらはダシの不足が問題なような気がする。味噌汁なんかでも、ダシが効いていないと、塩味が薄いと感じるからな。
あと、幕末の時点で、バタビアやオランダ本国で醤油を入手できたという物の動きも興味深い。あと、同時期にヨーロッパに出ていった芸人たちなどの庶民階層が洋食に対してどう感じたかなんかも、気になる。史料がほとんどないだろうけど。
海に面したゴアは魚介類に恵まれ、熱帯性気候のため野菜や果物も豊富だった。さらにここでは人々は米を常食としていたから、食材そのものは日本とさして変わらない。ただしインドは世界に名だたる香辛料王国である。どんな料理にも唐辛子、胡椒、丁子、生姜、ニンニク、シナモンなど各種スパイスを混ぜ合せたマサーラと呼ばれるソースの素が用いられる。われわれ日本人はこれをひとくくりに「カレー粉」などと称するが、マサーラは家庭によって用いるスパイスもその調合法も微妙に異なり、とても「カレー粉」などと一言で片付けられぬほど多種類に及ぶ。p.22
ベルナルドはリスボン到着後、イベリア半島を横断し、スペイン東岸のバルセロナから船でローマをめざした。この頃になると、彼の舌もポルトガル料理やスペイン料理にも馴れ、イタリアに入ってからはピザやパスタを口にしたことであろう。彼こそ本場の西洋料理を食した最初の日本人である。しかしそれらがどんな味だったのかは、彼が何も書き残さぬまま、四年後にポルトガル中部の古都コインブラで短い生涯を終えたため明らかでない。p.27
16世紀半ばにヨーロッパに派遣されたキリシタン関係の使節たちについて。この時代だとアメリカ大陸産の産物であるジャガイモ・トマト・トウガラシは、ユーラシアに普及していなかったようだから、今とは相当違ったのではなかろうか。トウガラシだけではなく、丁子にしてもインドネシア、モルッカ諸島にしか産しなかったものだから、日常使うものではなかっただろうし。16世紀末のリンスホーテンの報告には、「カレー」が酸味のある食品だったという証言もある→http://d.hatena.ne.jp/taron/20110728#p2。今の感覚でとらえるのは大間違いだろう。
イタリアにしても、現在のような形のパスタやピザは存在しなかったのではなかろうか(イタリア料理の歴史は良く知らんけど)。
支倉は今で言うところのマイ箸(自分専用の箸)を日本から持参していたようである。この時彼らが口にした米であるが、インディカ米とすれば、紀元前三世紀ごろから中近東を通じてヨーロッパに伝えられており、十五世紀にはイタリアやポルトガルで栽培されていた。p.32
支倉常長はマイ箸を持ち歩いていたという。