【インタヴュー】フリーカルチャーという思想をめぐって:ドミニク・チェンとの対話 ≪ WIRED.jp

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 「フリーカルチャー」や「クリエイティブ・コモンズ」の思想的なあり方。現状、本当に「風通し」が悪くなっているとは感じるな。そもそも、洋の東西を問わず、写本文化の時代には、勝手に付け加えてリミックスしていく行為は普通のことだったんだし。「作者」という考え方自体が、近代に限定されたものであることは確かなんだよな。

ところが、逆に音楽をつくるということを考えると無駄なコストがかかることにも気づくわけです。ナップスターで入ってくるスピード感と、ものがつくられるスピード感の齟齬ですね。で、つくられる速度が遅い理由を詳細に見てみると、インターネットのもたらす新しい可能性をブロックしている利益集団がいることに気づくんです。つまりロビイングをしている勢力が、健全で速度感のあるクリエイションを妨げていると。もちろん、ぼくは踏襲すべきルールやマナーはあるべきだと思うんですが、それが建設的に議論をされることはなくて、先日の法改正みたいなことになってしまうんですが、それをもって「しょうがないね」って諦めるのでもなく、「無視して好きなことやろうぜ」ってことでなく、その中間的なところで活動をしている「クリエイティブ・コモンズ(以下CC)」という考えに惹かれるようになったんです。

 うーん、そのあたりのスピード感の齟齬は、ある程度原理的に存在するものなのではないだろうか。表現活動そのものはそれなりに時間がかかるものだし。

オライリーの例は、あくまでもひとつの実験ですけれども、彼はそれについて、ナップスターの話とも関連しながら、世の75%の著者は無名だから、その人たちにとって海賊版が出回るのは、むしろ利益にしかならないと言ってるんです。そもそも世に知られていないんであれば売れようがないわけですから。そして、残りの25%の著者のうちの、比較的有名な20%の人たちにとっては、それはプラスにもマイナスにもならず、残りの超有名な5%は短期的には若干売り上げが落ちるかもしれないけれども、騒ぎたてるほどの影響はない、というのがオライリーの言い分です。

 まったくもってその通りだと思うのだけれど…

はい。フリーカルチャーっていうのはつまり文化的な視点なんですよね。文化の新陳代謝をいかによくするか、血流が悪くなっているのをいかによくして、循環させるかということが根本の発想ですから、それが実現できるようなビジネスがあっても全然いいんです。