西南戦争「戦死之碑」

 西南戦争の戦場になったことにより、人吉近辺では戦死を始め多くの死者が出た。これを供養するために建てられた碑なのだそうな。林鹿寺境内に建っている。こちらも、碑文はほとんど読めず。勝海舟の字で、元の揮毫も寺内に残っているそうだ。






  戦死の碑
 国内最後の内乱である明治10年の西南戦
争では、5月の約一月のあいだ西郷軍が滞
在した。人吉隊も編成され、人吉に迫った
政府軍との攻防戦も行われて市街地が焼失
するなど「大騒動」となり、両軍とも多
くの戦死・病死・獄死者が出た。戦後その
両軍戦死者を供養するため、勝 海舟の筆
により城内(麓町10番地の2)に慰霊碑が
建立され、のちに道向かいの林鹿寺境内に
移転されている。
    平成16年3月 人吉市教育委員会文化課