「烏ヶ江埋立事業記念碑」

 下無田神社の手前、画図町第七町内公民館の敷地内に建てられている碑。ちょっと入りにくかった。こうして見ると、場所柄水系の石碑が多いのかね。
 つーか、どんなゴミを埋めたんだろうな(汗




正面

烏ヶ江埋立事業記念碑
     熊本市長 星子敏雄書

碑文
此記念碑の建立にあたり埋立事業に顕著なる
功績を残された功労者の業績を讃えます。
すぐる明治十五年加勢川大洪水のため堤防の決壊
により一面の泥沼と化し再び美田として蘇る
事無き不毛の地と化し農区共有の儘烏ヶ江蓮根
堀と呼ばれ幾歳月が過ぎました。  そして
大正昭和初期を経戦中戦後の困難期を克服し
て農業振興に将亦環境整備にと努力しました。
然し乍ら町内として何等財源とて無くその運営
全般に亘り各戸負担の外無く何等の特筆すべ
き事業も果し得ず空しく日々を過しました。
この間発起人の方々は、この不毛の地を利用開
発し、共有財産の確保に思索をめぐらし時恰も
熊本市の清掃事業拡張に伴う塵埃処理による
埋立工事に先見の目を向け之が実現を目指し
町民一同の意向統一に向って活動を始められました。
当初より難問題を抱え特に水害時に於ける
悪水汚水に対する農家の反対、一般町民の悪臭
蚊蠅等の発生に対する反発等抗議続出し容易
に合議に至らず、誠に苦労努力の末愈やく着工
への賛同を得られました。
之により昭和三十年二月上下無田三町内合同
による埋立協議会が発足同時に市清掃部による
埋立工事の着工を見ました。この事業の完成に
より大きな共有財産が生じ現在、公民館建設を
始め幾多の環境整備事業へと進展し未来えの
展望が開けました。之もひとえに此の事業に献身
努力されました功労者の方々の御偉業の賜ものと
深く感謝の意を表します。最后にこの事業の
年鑑を記し其の業績を顕彰致します。
 昭和五十七年二月 画図第七町内一同


  発起人(下無田上区)
宮田喜熊 宮田豊 下山秀一
加川直 宮崎誉義 村上時男
宮田繁行 宮崎広志



裏面

 年鑑
一、明治十五年 大洪水にて堤防決壊す
一、昭和三十年二月 埋立協議会発足す
一、仝三十二年四月 市清掃部埋立着工
一、仝三十六年三月 埋立工事完工
一、仝三十六年四月 区画整理組合設立
一、仝五十年 土地売却(RKK(株)
一、仝五十年十二月 公民館建設落成
一、仝五十五年 区画整理組合解散


 建設世話人
下山鉄雄 加川孝行 加川由○
宮崎実 宮田幹男 宮田○○
宮田益喜 山田良典
下山元生 宮田光忠