井田徹治『サバがトロより高くなる日:危機に立つ世界の漁業資源』

サバがトロより高くなる日

サバがトロより高くなる日

 様々な魚が、乱獲で激減し、将来が危うくなっている状況を中心に、現在の大規模な漁業・流通の問題点を指摘する。
 全体の半分強を占める第一章は、乱獲と資源減少の状況を描く。世界全体で、漁船が増えているにもかかわらず、漁獲量は減っている状況を示す研究結果を引用する総説。続いて、個別の魚種ごとの現状を描いている。事例としては、マグロ・ウナギ・サバ・タラ・イカとタコ・銀ムツ・サメが紹介されている。こうして見ると、成長に時間がかかる、魚類を捕食する大型の魚の資源減少が目立つ印象。再生産に時間がかかる魚を、短期的に獲りまくれば、それは資源が枯渇するのも当然だなとしか言いようがないわけだが。本書で紹介されている事例では、例外は、サバとイカとタコ程度だな。あと、世界の海産物消費の中での日本の存在感。マグロやイカの三割、タコやウナギだと大半を日本人が消費している状況。銀ムツも、『銀むつクライシス』asin:415208913Xという本で紹介されているように最大の消費国はアメリカだったが、環境運動の結果消費が減少。今や、日本が最大の消費国になっている。あとは中国のフカヒレ需要によるサメの乱獲や大西洋でのタラの乱獲による資源の崩壊のあり様など。
 サバの資源回復失敗の話も興味深い。70年代から90年代の間に激減したサバ資源は、90年代の初頭に大量の稚魚が加入し、資源回復の兆しを見せた。しかし、あまり育たないままの稚魚を撮ってしまったため、その後はまた資源が減少している。ちゃんと加入する稚魚を保護する仕組みが重要だということ。
 イカ・タコの事例で紹介されているアルゼンチンマツイカは、本書が出た時期には資源が激減していたようだが、その後回復に転じて、それなりの量が漁獲されているようだ。このあたりも、自然相手の難しさと言う感じ。


 第二章は養殖について。天然資源の減少の中で養殖が救世主となりうるかを検証している。現在、漁獲量が9千万トン程度で頭打ちのなか、養殖は年々伸び続け、現在は3千万トンを超えているという。その中で、2700万トンが中国によるもので、これは内陸の淡水魚であるコイ科の魚が中心なのだそうだ。しかし、一方で問題も多い。東南アジアのエビ養殖がマングローブ林の破壊を促進し、これがマングローブに依存していた人々の生計を奪ったり、インド洋大津波の際に被害を拡大したりと悪影響を及ぼしているという。また、過密な生息環境で病気がはやりやすく抗生物質が大量に使われたり、餌が小魚などの海産資源の破壊や水の汚染につながっているなどの問題もある。さらに閉鎖環境で飼育されるため、水銀やダイオキシンなどの汚染物質が蓄積しやすいという問題も指摘されている。
 この章では、マグロの蓄養が大きく扱われている。個人的には、稚魚を獲ってくる蓄養を、「養殖」のカテゴリーに入れるのは違和感があるが。日本の資本で、世界各地にマグロの蓄養が拡散している状況。結果として、均質に太ったマグロによって、日本の消費者が安いトロを享受している。一方で、マグロの蓄養は、結局は稚魚を漁獲してくる以上、マグロの資源への影響は避けられない。しかし、途中で蓄養のプロセスを挟むため誰がどれだけ取ったのかが分からなくなる。さらに、規制に加わっていない国を便宜置籍に利用するといったことで、逼迫しつつあるマグロ資源の管理体制を破壊しつつある状況が指摘される。


 第三章は不当表示と代用品の話。アサリなどの貝類が、輸入が多いにもかかわらず、日本の産地に一時的に放されて、そこで日本産になってしまう産地ロンダリングの状況。あと、後半は代用品として使われている魚介類の紹介。世界中の様々なところから獲られた魚介類が、市場で人気の高い種類の名前と混同しやすい名前を付けられて、誤解されたまま食べられている状況。個人的には、それぞれの魚が、それぞれの魚の名前で勝負する状況になればいいと思うのだがね。


 第四章は今後どうしていくべきかという話。温暖化の影響が魚介類の生息環境に大きく影響を与えている状況。南極の氷山の減少がオキアミの減少につながっていること。しかし、政治的な理由で日本がそれを認めないという状況が紹介される。漁業に関連しても温室効果ガスの排出を減らす努力の必要性が指摘されている。具体例としてはフードマイレージの導入が挙げられている。また、乱獲の停止と資源回復の試みの必要性を指摘し、禁漁区の拡大や漁獲枠取引、管理制度の強化、生態系の研究の促進、消費者への情報提供や認証制度といった消費の場での取り組みが挙げられている。「漁獲枠取引」ってのは、ネットで勝川俊雄氏が盛んに発信している、個別漁獲枠のことのようだ。
 実は、稚魚を獲らないようにするより、親となる大物を残した方が再生産には有用だという指摘は興味深い。歳を取るほど、産卵量が増えるらしい。あと、日本の「消費者」の状況を見ると消費者への情報提供や認証制度がどの程度効果を持つのか、懐疑的にならざるを得ない。
 しかし、著者やマイヤーズ博士の「人類に残された時間はそう長くはない(p.256)」は重い。


 本書を読んで印象的なのは、日本人が世界各地の魚介類を食い尽している状況。私も含めて、無邪気に消費しているが、それが資源の再生産にどれほど負荷をかけているか。安いからといって、喜んではいけないということ。
 あと、それと関連して、マスコミも含んだマグロに対する執着心の異様さ。国際的な枠組みでのマグロ漁規制が議題に上がると、トロが食べられなくなると、マスコミを中心に噴き上がるが、あのマグロに対する執着が理解し難い。別に食べられなくなったり、高くなったからといって、そんなに困るかなといった感覚なのだが。これは、マグロをあまり消費してこなかった西国人の感覚なのだろうか。実際に、マグロの資源状況はかなり危機的な状況にあり、安いトロがなくなるのを問題視するのは、実に近視眼的な発想だと思うのだが。これは、ウナギも同様か。


 以下、メモ:

 漁船の数は増える一方なのだが、捕れる魚の数は減っている。一九八〇年代以降の二十年ほどの間に漁獲能力は八七%増加したのに対し、漁獲量は四六%しか増えていないとのデータがある。世界の漁船は最適な規模より少なくとも三〇%は多く、地域によっては二倍以上も過剰になっているケースもあるほどだ。どんどん少なくなる魚を、どんどん多くなる世界の漁師が先を争って捕ろうとしている、というのが現在の世界の漁業の姿だと言える。乱獲が起こるのはある意味では当然だ。p.19-20

 うーむ。

 アメリカでは西海岸を北上するマグロの仲間を釣るスポーツフィッシングが人気だ。シーズンには、多くの釣り船がインターネットで釣果を公表して腕を競い合い、成績のいい船長の船には予約が殺到する。釣っていいマグロの数やサイズは厳しく制限されている。筆者の友人が、アメリカ人が釣り上げて捨てていったマグロをもらい受け、おいしいトロの刺身を振る舞ってくれたことがある。高速ボートでマグロやシイラ、カジキなどの群れを追い、人間の力だけで大きな魚と格闘して、釣り上げる。こんなスポーツフィッシングがアメリカでは人気で、巨大な産業となっている。地域によっては漁業を大きくしのぐ規模の重要な産業になっているが、近年、その「漁獲量」は商業漁業と同様に減少傾向が著しい。外国漁船がマグロを大量に捕って、日本に輸出していることへのスポーツフィッシング関係者の不満は根強く、一九八〇年代後半から、彼らは強力な圧力団体を結成して政府に圧力をかけるようになった。環境保護団体とのつながりを持っている組織もある。アメリカ政府が、日本や欧州諸国などにマグロの漁獲量の削減を迫るようになったことには、こんな背景もある。p.30-31

 マグロをめぐる国際的な交渉のひとつの背景。

漁獲データはいい加減?
 国際的な漁業管理を難しくしているもうひとつの要因は、データ集めの難しさだ。これはマグロに限った話ではないのだが、ICCATなどの場では、再三にわたって各国が提出する漁獲量に関するデータのいい加減さが、問題になっている。
 漁船の数はそんなに変わっていないのに、いくら自然相手の漁業だといっても毎年の数字の変動が非常に大きいのだ。これはICCATが、クロマグロの各国別の漁獲枠を設定する時に顕著に現れた。関係者によると、漁獲枠設定の議論が続いている九八年までの数年間、一部の途上国やEU諸国の漁獲量が目立って大きくなったという。枠の設定を念頭に置いて、自国の既得権益を確保するために、年間の漁獲量を水増しして報告していた疑いが強い。ところが、九八年に枠が設定された途端に、これらの国の漁獲量は急激に減少。こんどは、枠を超えて捕った分をごまかすために、過少に報告している疑いが持たれている。
 アメリカのスポーツフィッシング業界のロビイストが書いたICCAT交渉の内幕本には、EU諸国がまともな漁獲量のデータを会議に出し渋り、苛立ったアメリカなどの代表国からの批判が集まったことなどが記されている。地域の漁業管理機関やFAOなどには、広い海で操業する漁船のデータを各国政府の責任で集計したものが報告される仕組みなので、漁獲場所の付け替えや便宜置籍船からの積み替え、漁獲量の過少報告などをチェックすることは、不可能に近いというのが実情だ。p.66-7

 日本もこの手の規制に非協力的なのだそうだが、EUもそのあたり矛盾している感じだよなあ。フランスやスペインあたりが、こういうのに非協力的だったりするようだが。

 興味深いことに一九九二年には二十八億匹、九六年には四十三億匹もの稚魚が生まれ、群に加わっていたことが分かっている。イワシやアジ、サバなどのいわゆる大衆魚、多獲性魚と呼ばれる魚には、時々こんなことがある。水産庁の担当者は「この時にきちんと漁業管理を行って稚魚を守っていれば、これほどまでにサバの資源状況は悪化しなかったのだが」と悔やむのだが、この稚魚もまさに「一網打尽」にされ、生き残ることができなかった。上のグラフを見ると、この両年の翌年に漁獲量がその前後に比べて増えていることが分かるのだが、その後は、再び極めて低レベルの漁獲量に留まっている。親魚の数は二〇〇二年に過去最低の三万トンを記録している。p.81

 なんというか、ダメすぎる…

 金額ではなく、重量で日本人が最もたくさん消費しているのは、ちょっと意外なことにイカである。重量だとマグロやエビがともに年間九百グラム程度の消費量であるのに対し、イカはここ数年千百グラムから千四百グラムで推移。重量では群を抜いている、この十年以上にわたってイカはトップの座をほかのシーフードに譲ったことがない。p.99

 そんなに食べている印象はないのだがな。比重が重いのか?

 一九九六年には環境保護団体のトラフィックが、ヒレを取るための乱獲などで近年、サメなどの軟骨魚類の取引量が急増しているとして、漁業や取引の実態調査や管理を求める報告書をまとめた。報告書によると、取引量は九四年で約四万八千トンと、八五年の二倍以上に増加した。輸出、輸入国数とも二、三倍に増えているが、報告書は、これらは実際のほんの一部でしかない、と指摘し、オーストラリアに新しくできた加工工場の例などをあげながら、新しく市場に加わっているサメ肉の実情なども紹介した。また、サメはマグロの延縄漁で混獲される場合が多いが、ヒレだけを切り取って海に捨てるものは統計には含まれないため、実際の捕獲量はもっと多いという事実も浮かび上がった。トラフィックは、こうした現状を改めるため、サメの種類別の漁獲量や品目別の取引量を明確にした上で、それぞれの国や地域が生態学的に持続可能なサメの管理計画を策定することなどを提案した。p.130-1

 サメは成熟年齢に達するまでに時間がかかるものもある。例えばドタブカという名のサメは、二十歳になるまで子供を生まず、その間隔も三年に一度といわれているので、その繁殖能力は人間以下かもしれない。アメリカのドタブカは、一九八〇年代の乱獲によって個体数が八五%も減少したといわれている。これだけ減ると、資源が回復するまでには四十年近くかかるとされ、アメリカ政府が、絶滅危惧種のリストに加えることを検討するまでになっている。p.136

 サメの状況。

 蓄養マグロに関するデータ公表の不十分さを指摘するのは環境保護団体だけではない。日本のマグロ研究者として世界的に知られる三宅眞さんは「誰がいつ、どこでどれだけ(マグロを)漁獲したかが分からない」ことが蓄養事業の問題点だと指摘している。「蓄養して大きくなり出荷される量は分かりますが、入り口の、どんなサイズのマグロがどれだけ捕られ、その間にどれだけ死んだのかなどの情報がさっぱり分からない」と三宅さんは指摘している。出荷量から、実際の漁獲量を逆算すると、各国の割当漁獲量を遥かに超えるという。この種のデータの暗黒があると、ただでも難しい海の魚の資源評価は、極めて不正確になる。三宅さんも「気が付いた時にはクロマグロが捕れなくなってしまうという状況になりかねない」と懸念を示している。p.178

 蓄養によって、資源評価が難しくなる状況。

 ところで、カラスガレイの本格的な漁業が始まってからまだそんなに時間が経っていないのだが、早くも資源状態の悪化が指摘されるようになった。捕れるカレイの量が、公海では一九九一年をピークに急激に減少し、九六年には十分の一にまで落ち込んだ。成長が遅い寒い海の深海魚を、資源状況の調査が不十分なまま大量に漁獲して、資源状況が悪化する、というのは南極海の銀ムツに似ている。特にアイスランドの周辺などの北大西洋でのカラスガレイの資源の減少は深刻で、この地域の漁業管理機関である北西大西洋漁業機関(NAFO)が、漁獲量を制限し、十五年かけてカラスガレイの資源の回復を目指す行動計画を決めるまでになっている。p.228

 回転寿司のヒラメの縁側は、大概がこいつらしい。しかしまあ、寒い海の深海魚なんかを持続可能なレベルで獲っていたら、多分商売にならないだろうな。

 最近、これまでの漁業資源管理の常識に見直しを迫るような研究成果も報告されている。これまでの漁業資源管理では、一定の大きさ以下の魚を捕らずに海に帰すことが、資源保護上、有効だとされてきた。アメリカのスポーツフィッシングでも、持ち帰っていい魚のサイズの下限は厳しく制限されている。だが、アメリカのデューク大学のラリー・クラウダー教授らの研究で、魚の繁殖のためには、年を取った魚の産卵が重要で、これらの魚を集中的に漁獲することは、資源保護上、むしろマイナスかもしれないことが分かった。クラウダー教授らが、アメリカのカサゴの仲間などの産卵の様子を詳しく観察したところ、年を取った魚は、若い魚まで加えた平均の産卵数よりもはるかに多くの卵を生むことが分かった。これらの魚は、最も繁殖に適した時期に卵を生む傾向にあるので、一年後に生き残る魚の数は、平均の三倍以上も高くなっていた。また、成熟速度も、若い魚から生まれた稚魚に比べて三・五倍も早かった。
 クラウダー教授は、大きな年を取った魚ばかりを捕ることを、樹齢百年の木ばかりを、選んで伐採することにたとえ「大きな年を取った魚ばかりをとることが、乱獲の影響をさらに大きくし、資源の減少に拍車をかける結果になっている」と指摘。これまでの資源管理方法に見直しを迫っている。p.263-4

 うーん、一理はある。ただ、そうはいっても、最適期に産卵するということは、環境が変化すれば一気にダメージを受けかねないってことなんじゃなかろうかとも。適当に散布されているのが大事だと思う。あと、新加入魚が成魚にならなければ、結局は資源が先細りのような。