改めて写真を撮ってきたので再掲。石碑そのものには、天保二年、台座の石柱には明治22年の年紀が入っている。横の解説板によれば、1940年代ごろに琴平神社の境内に移転させられたそうで、その前にも段階的に整備を受けてきたものだと推測できる。
碑本体
天保二年
○八月吉日
台座石柱
明治廿二年
六月二十八日
解説看板
火の神さんの由来
援田彦大神は道しるべの神様であると共に、海路を
松明を照し水先案内をされた事から、火の神さんと
呼ばれています。
右の石碑は、天保二年八月(一八三一年)に医者松岡家の
敷地内に建立されていたものを五十数年前にこの場所に
移されました。
祭りは春は三月十八日、秋は九月十八日に消防団の
東区と西区が一年交代で祭りの当番をつとめていたが、
現在は春に元東区の有志による祈願祭、秋は火の
神奉賛会により校区民あげての祈願祭が盛大に行わ
れています。
また援田彦大神が相撲好きであったことから方屋や、
さじきを作って相撲が行われ非常ににぎわっていたと
言われ、現在も毎年奉納相撲が行われています。
すもうをして祭りをしないと火事がおこるという言伝え
があるほどです。
平成三年三月吉日
火の神奉賛会