割と大きな神社。こんもりとしげった木々と夕方という時間もあって、結構薄暗かった。
門柱?
門柱らしきもの。隈庄の人が小学校の基礎を請け負ったってのが興味深いな。
昭和十三年六月
奉納 隈庄町土木請負業志垣続
奉御幸小学校基礎請負工事竣成
「合併祭神元鎮座地名」碑
合祀された際に、元の地名を刻んだ碑。明治の神社合祀政策の犠牲者。
合併祭神元鎮座地名 神職 坂本○○
八龍神 禰宜森 明治二十三年十二月合祀 世話人 (以下略)
水神森 伊賀神
荒神森
奉納兵器目録碑
大正12年に軍縮によって余剰になった兵器を展示目的で払い下げられたらしい。大戦中の金属供出か、戦後の占領政策で撤去されたんだろう。
表面
○○兵器 一、保式短五糎砲 一門
目録 一、露式二十五糎砲弾 二個
一、四十五糎魚形水雷 一個
左面
社掌 坂本正人
氏子総代 志垣繁雄
仝 清田酉彦
仝 木下仙太郎
右面
軍縮ノ結果佐世保海軍鎮守府
ヨリ無償下付セラレシモノナリ
大正十二年五月二日
[日記][石碑]田井島神社の石造物
東バイパスのすぐ南にある神社。ここも、あまり石造物は見当たらない。
「しゅん工記念碑」
「平成十二年八月吉日」とある。社殿の新築でもあったのだろう。
台座
田井島天満宮 由緒
菅原道真公が太宰府で逝去され
全国に災いが急に増えて国の
政治も危機に迫り、国の要を担う
人等がこの災いは菅原道真公の
怨霊のせいだと考え菅原道真公を
神として、太宰府と京都に祀り
供養したところ、国中の災いは
無くなったと言われここの地区
(田井島)にも災いが来ないように
との考えから菅原道真公を
この地区の守り神としてこの地に
祀ったものである。