「海軍少将加来止男君之碑」

 なんか聞いたことのある名前だなと思ったら、空母飛龍の艦長か。元は鎌倉にあったのを、八代に移設したものらしい。生地が八代なんだと。しかし、昭和20年8月の建立とは。
 徳富蘇峰も石碑の碑文を書きまくってるな。まあ、特に特筆するところもない、顕彰碑の文体。旧字体で読めない文字がちらほら、あと最後の行はさっぱり分からん。




石碑正面

海軍少将加来止男君之碑
    蘇峰徳富正敬書



石碑裏面

一死難とせず死に処するもの実に難となす我が海軍少将加来止男君の如き以て皇国
軍人の典型たるに足る君は肥後八代に生る志を立て海軍兵学校に入り大正四年海軍
少尉に任ぜられ昭和十二年海軍大佐に累進す君の海軍生活三十二年随処其職に中り
向う処可ならざるなし支那事変に際し感状を授けらるる四度昭和十五年四月功四級
金鵄勲章を賜う昭和十六年十二月大東亜戦争の勃発するや君は布哇を急襲し空前の
大戦果を挙ぐ尓来或は印度洋或は太平洋に転戦君は航空母艦の艦長として猛然敵の
攻撃火中に突入し敵の航空母艦一隻大巡洋艦一隻を撃滅し自艦亦た損傷を被り済ふ
べからざるを見るや共の残存セル部下を退艦せしめ自ら司令官山口多聞中将と共に
艦橋に立ち従容其職に殉ぜり是実に昭和十七年六月五日となす事上聞に達し海軍少
将に任じ位一級を進めらる尋て特旨を以て金鵄勲章功二級に叙す蓋し殊栄と為す也
君質実にして義を好む事に膺りて不動の信念と明敏の才略とを以てす孝子たり慈父
たり忠愛以て友に交り公正以て人を待つ而して死生の大事に関しては蚤に自ら得る
所あり君の皇国不朽の軍人として其の英霊長く護国の神となる固より偶然にあらず銘
に曰く艦橋卓立意悠然万頃蒼溟是墓田火国男児腸鉄石英名赫灼千秋伝 蘇峰徳富正敬
                                撰并書(印)



左わき碑

 至誠遺芳
     道男書
 文豪の撰文になる本碑が鎌倉
妙本寺境内に建立されしは昭和
二十年八月と謂う 旬日にして
終戦詔勅下るや 占領軍の意を
慮ってか埋没の悲運に遭い荒廃に
委すこと二十幾春秋茲において
郷土の有志相諮り生地に迎えて
提督の鎮魂を希うと共に時代人士
の敬仰奮起をも促さんと意図し
即ち此処に移建す



裏面

昭和四十六年五月
    八代海洋会


     題字 坂田道男
     撰文 本田真一
      施工 鹿島石華園



追記:2013/4/9、『徳富蘇峰の碑』をもとに碑文を修正。