学校行事への参加を拒まれて、考えた - lessorの日記

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 修学旅行か、見学旅行か。リソースを食いまくるから苦しいという学校の言い分も分からなくはないが、教育機関としてそれはどうなのかねえ。とはいえ、保護者同伴も申し出ているわけだしなあ。

 「保守」「革新」なんて立場の違いは、この程度の経験の違いから生まれてくるのではないかとも思う。教育にせよ福祉にせよ本来ならば「制度」というのは、このようなぐちゃぐちゃとした事態を避けるためにあるのだろう。にもかかわらず、十分な裏づけのない形だけの制度が先に整えられて、中身が空っぽのまま、あとは「運用」にゆだねられる。その結果として、たくさんの無用な対立が生まれていく。「特別支援教育」とは、まさにそんな場のように思う。「障害者福祉」もそうだ。

 まあ、「制度」ってのは、そのグチャグチャの中から、妥協点、あるいは労力減少のための決まりごととして「生成」してくるものなんだろうけど。長い間の紛争によって形づくられる。形はできていても、まだ「制度」としての体を成していないとも言えるのかも。しかし、「闘って勝ち取る」とは言葉で言えば簡単だけど、実際に行うのはストレスの大きなことだろうな。

奇妙な話だが、穏当な運動がうまくいくための制度的な基盤すらないことが、昨今の国政の情勢も含めて、不幸を招いているのではないか。

 これはまったくそうだと思う。デュープロセスの不在というか。昨今の「地方分権」という掛け声が信用できないのは、「地域社会」のデュープロセスをどうするかって議論が全く欠如している所にある。スケールダウンした中央集権国家なんかいらないんだよ。