市民会館の裏手にある神社。残る遺物から見ると、そう古くも見えないが。石灯籠一つが江戸時代っぽくもあり…
「再建記念碑」
年紀は入っていないが、裏の総代名簿からすると、大正のものかな。移転ってのは、練兵場の廃止に伴うものかな。台座の寄附者名簿の寄付金額からしても。石碑本体が石灰岩で作られているのも珍しい。球磨川あたりから取り寄せたのだろうか。例によって寄附者名は省略。
裏面
明治四十三年御再建当時総代 大正四年御移転当時総代
新築主任永野弥七 野田市兵衛
会計主任丹辺総次郎 永野弥七
西江半次郎 千頭寿太郎
丹辺改平 伊津野仁一郎
坂○仁三郎 魚住友八
米村想次郎 石松芳蔵
永松龍蔵 丹辺総次郎
須賀忠太郎 浅井○次郎
米村想次郎
「改修記念碑」
なんというか、変わった形をした記念碑。あと、目の前に木が立っていて写真が撮りにくかった。昭和55年に修理を行ったようだ。
右面
昭和五十五年十月吉日
裏面
総代会長 道西 強
総代 荻 子之吉
仝 後藤亥一
仝 宮田正敏
仝 合志信介
仝 山崎秀雄
仝 馬場武士
牛さんその1
大正7年に奉納されたもの。台座上段は何が書いてあるか判読できず。消防団から奉納されたもののようだけど、菅原道真と牛と火事って、なんか関連あったっけ。道真と牛に関しては、菅原道真公と牛について|長岡天満宮、神使「使いの牛」菅原道真公の使者 日本最古の生身天満宮があるけど。
台座側面裏面の人名は省略。
台座下段正面
奉納
熊本市第九
部消防組
部員一同
発起人
小頭 岩井林造
火先係長 桜間卯八
喞筒係長 波佐間彌平
用水係長 勢 惣吉
右面
(人名略)
大正七年
九月吉日建之