「託麻村熊本市合併記念碑」

 託麻市民センター、今は東区役所の出張所か、の敷地にある石碑。今回、遠慮を捨てて台座の裏に踏み込みまくり。




石碑中央

託麻村合併記念碑
熊本市
 昭和四十五年十一月一日田中実蔵書



左そで表面から裏面

 託麻村の沿革
昭和二十八年九月一日に町村合併促
進法が制定され十月一日施工となり
熊本県案が公表され昭和二十九年一
月二十六日小山戸島村供合村広畑村
の合併協議会を結成数回に亘る審議
の結果昭和三十年一月三十日をもつ
て三村の合体合併に至る村名は公募
により地理的歴史的且つ又村民の自
治心を高める上から託麻村が誕生飽
託郡の東方に位し東は菊池郡菊陽村
南は上益城郡益城町北は東西に流れ
る白川を境として熊本市竜田町に界
す当時の人口一〇、八四二人戸数一九〇二
戸総面積二.九八K?であったが昭和
三十一年四月一日保田窪新南部が熊
本市へ編入され昭和四十年国勢調査
人口八四五五人戸数一六三六戸面積
二六.四八K?となるその後市勢の東
部進展により託麻村民の恒久の福祉
と生活の向上をたかめるため昭和四
十五年十月三十一日託麻村を廃し熊
本市へ編入合併に至る。



右そで

 歴代村長
一代 三島壽作
二代 永坂真治雄
三代 三島壽作
四代 田中実蔵
五代 田中実蔵