小平桂一『宇宙の果てまで』

宇宙の果てまで

宇宙の果てまで

 すばる望遠鏡を中心になって推進した学者が、自身の視点から経緯を振り返っている。ハワイに観測所を設置するための下調査、実際に予算を確保するための官僚や政治家との折衝などなど。20年越しの仕事だったのだな。最初の10年は調査や準備の期間、後半十年は実際に建設するシークエンス。こういう大規模な投資は、これから可能なのだろうか。また、こういう派手な話題の裏にある、人的な基盤がこれからも維持できるのか。現状を見ると、ちょっと危ぶまざるを得ない。あと、同時期に行われたスーパーカミオカンデもどうやって予算をとりつけたのか、興味が出てくるな。
 これは学者の側から見た話だが、文部省や財務省、政界でどのような議論が行われたのかというのが分かると、より興味深いと思う。あと、なんだかんだいって、人脈って大事なんだな。
 あと、日本では海外に大型望遠鏡を設置するために、研究者生命の大半をつぎ込む形で行われているが、海外ではこういうのに対する労力はどうなっているんだろうな。前例がなかったというのもあるのだろうけど。準備段階のトヨタ財団の助成も興味深いな。
 あと、反射鏡を製造する能力は日本国内のメーカーにはなかったんだな。日頃から技術開発を行っている必要がるんだろうけど、そういうところに投資は難しそうだな。


 以下、メモ:

 僕らはそんな共通の問題を抱えて、「大望遠鏡計画推進議員連盟」の朝食会に出席した。そこでは欧米の技術者が新しい大型と目している十六メートルとか二十五メートルの鏡の話が出て、意識の差が感じられた。しかし議員さんたちの話しぶりから、大望遠鏡の予算をつけてもらうためには、学者だけで話しているのでは到底駄目で、何かもっと国政の仕組みに絡んだ手順が要りそうなことが窺えた。「文教族」という議員さんたちがいることを知ったのは、それから間もなくのことだった。朝食会は何度か催されたが、その議員連盟が何らかの政治活動を始めるということはなかった。それでも、新聞のゴシップ欄で取り上げられたりすると、天文台長からはお叱りを受けた。「学者として上滑りにすぎる」という批判を免れ得ないからだった。しかしこの議員連盟の一部のメンバーの方々には、これが縁で後々までお世話になることになった。p.68

 この規模になると、政治家との関係は必要と。

 欧米の大プロジェクトでは、まず開発研究をやって、いろいろな可能性を試す。これにかなりのお金を注ぎこむ。時には本当の装置の製作費の三割にも及ぶこともある。それによって技術面でもコスト面でも最適化が図られて、良い物が安くできる。それに較べて、日本の現状では、本体の製造計画が認められない間は、ほんのわずかの経費しか調達できないのが普通だ。先行きの確かでない計画にはお金が出ない。p.78

 普段から技術開発に投資しておくことの重要性。

(しかし日本の社会は徐々に変わってきている。これからは学術文化を大切にする国になるのではないか)
 そんな楽観的な希望も懐いて、ハワイとの間を行き来する日が続いた。p.226

 10年後の日本は、学術予算がガンガン減らされる状況…

 日本の科学は、西欧から移入された「科学技術」に始まって、国際競争を意識した「追い付き、追い越せ」の中で醸成されてきた。それは富国強兵の「如意棒」であり、「閉じて競争」する類の精神に支えられてきた。学術文化としての基礎科学は、その根底に、普遍に根ざした「開いて協力」する精神がなくては花開かない。精神が薄弱であれば、実態を支える組織も制度も整うはずがない。がんじがらめの国の会計法上の規制を、弾力的に解釈して運用するにも限界がある。それも担当事務官の判断次第だ。前任者が認めても、次の担当官がOKしないことはしょっちゅうある。外国との間に挟まって、研究者が、ほとんどすべての英語書類をこなさなければならない。明治以来百年余り、「和魂洋才」をよくモノにしてきた日本のシステムは、国際感覚において基本的には変わっていない。p.229

 海外と関わる研究活動では、研究者に事務の負担が大きくかかる状況。