岩本馨『江戸の政権交代と武家屋敷』

江戸の政権交代と武家屋敷 (歴史文化ライブラリー)

江戸の政権交代と武家屋敷 (歴史文化ライブラリー)

 綱吉や吉宗といった将軍家の系統の変化に伴う政権の交代が、江戸の武家屋敷にどのように表現されているかを検討している。政権の外側から、新たな将軍が入り込んでくることによる、政権中枢部のメンバーの変化が、武家屋敷の所有者の変化という形で明瞭に見てとれること。特に側近が集う西の丸下に明瞭である。それは屋敷地の拝領という形で屋敷が与えられるため、失脚者の屋敷地を没収して、新たな側近層に与えるために起る。しかし、近世後半になると江戸の土地が不足し、相対交換の形で屋敷地が変更されるようになるため、政権交代による屋敷地の変化は明瞭に見えなくなってくる。
 後半3分の1程度は、江戸のフロンティア、武家屋敷地の不足を埋める先としての甲府城下。島流し同然に放っておかれる為に、甲府に移された人々はものすごく荒れたようだが。
 最近は、徳川綱吉の治世を、戦国時代までの殺伐とした社会から文治への転換として高く評価するようになっているようだが、本書の視点から見ると、気まぐれで付き合いにくい主君といった感じが濃厚にあるな。だからこそ、江戸時代から近代に入っても、悪い評判が流布され続けたわけだろう。政権外から、将軍の死去に伴って急遽、将軍になった人物。自己の権威を確立するために、粛清や急進的な政策を行ったという側面は濃厚にあるようだ。江東の撤退なんか、相当に無意味な政策だしな。

 気位が高く他人に厳しいという、まるで綱吉のことを語っているかのような報告である。このことは綱吉と綱豊の人物像を考えるうえで無視できないものがある。つまり、これまで「生類憐れみの令」をはじめとする綱吉の政治があまりに面白おかしく紹介されてきたがゆえに、綱吉についてはその異常性だけがいたずらに強調されてきたきらいがなかったか。むしろ報告にあるような性格は、将軍の最近親という高い格式を有する人間特有のものとして理解されるべきことなのかもしれない。p.89-90

 綱吉と家宣の性格の共通性。高い格式にありながら、実際には政権から疎外され、特にやることもない立場だと、人間屈折するものなのかもしれないな。