- 作者: 宇佐美ミサ子
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2005/08/01
- メディア: 単行本
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「日本史」とタイトルがついているが、全部が全部小田原宿の話と、ちょっとタイトルが肩透かし気味。あと、飯盛女を扱った部分を除けば、触書や訴訟文書が公文書主体なのが、どうも物足りない感が。伝馬制などの公的な運搬システムが、交通全体のどの程度だったのかを明らかにしないと、建前をなぞっただけになってしまうのではなかろうか。助郷の役が負担だったのは確かだろうけど、訴訟の文書に書かれた「困窮」というのが、額面通りに受け取っていいのか。まあ、農繁期には迷惑だったんだろうけど。飯盛女などでは、思いっきり法律無視をやっていたわけで。あと、交通関係の負担を示すのに、島崎藤村の『夜明け前』を引っ張ってくるのはどうなんだろう。明治に入って生まれた人間が20世紀になって書いた小説に、どこまで当時の状況が描き切れるのか。
全体は宿場の運営、飯盛女をめぐる話、助郷制度の問題、外国使節を迎える時にどのようなことが行われたのかといった内容。よく考えると、宿駅の経営が、帳簿上赤字とはいえ、運営に関わっていた幹部が没落するようでは制度を200年以上持続するのは不可能ではなかろうか。裏帳簿とか、他からの補填があったのではなかろうか。宿場全体、地域全体の経済活動の中に位置づけないと、理解できないのではないかと感じた。これは、助郷の問題でも同じで、民俗誌なんかをひも解くと、地域の多くの人が駄賃稼ぎといった運輸業に関わっている例が見られる。助郷が賦課された村落が街道沿いに多いのも含めて、ここでも運輸業全体の中でどういう位置だったのかというのを考える必要があると思う。
逆に、生活に密着したところでは、なかなかおもしろい。旅籠屋がどのような建具を揃えたのか、借用証からいろいろと列挙している。あとは、飯盛女の請状に見えるエグさとか。幕府が人身売買を禁止し、年季10年以上は禁止としていたにもかかわらず、10年以上の年季の契約が普通に横行している状況。あるいは、それぞれの女性に支払われた「給金」がばらついていて、外見などで格差がついていた状況とか。年齢に関しては、江戸時代だと数え年なんだよな、そう考えると、現在の満年齢で考えるのは危険な気がする。そのあたりどうなっているんだろう。
あとは、小田原宿に飯盛女を置くことに対して、周囲の村落の反対運動の論拠が「風紀が乱れる」ってたりに、現在の表現規制運動を彷彿とさせるというか。どう見ても、小田原以外での煮売茶屋や湯屋などの遊興営業の禁止といった、経済統制への反発なんじゃないのって感じなのだが。別の意図を、分かりやすい公式論に落とし込む感じが。
以下、メモ:
ところが、「草木とともに春夏は往来繁ければ栄へ、秋冬に至、往還すくなき時は冬枯と成る……」(『民間省要』)といわれるように、旅籠屋は草木の成長と同じで、陽気が良い春夏には往来も多く、宿泊客もあり繁盛するが、秋冬の寒い季節になると草木が枯れるのと同じように衰退していく。そのせいか、開業は簡単にするが、「消し際」(廃業)も早いという。p.101
うーん、伊勢参りなんかは農閑期の冬だったんじゃなかったっけ。旧暦だと、季節感がわかりにくいけど。
一方、飯盛女設置反対を提唱する人びとは、主として村落共同体を形成する名主クラスの農民であった。名主たちがなぜ飯盛女設置反対をしたのか。設置反対を提唱する名主たちの真意とはなんだったのだろうか。まず、彼らの意識のなかには村落共同体に対する危機意識があったものと考えられる。少なくとも、彼らは、幕藩体制官僚組織の末端に位置する人びとであり、幕藩制イデオロギーを支えていく要ともなるリーダーである。村落共同体を維持していくためには、農民が怠惰になることは、もっとも恐れる現象で労働の忌避が生産力に大きく影響を及ぼすことを危惧したのである。このような名主たちの飯盛女設置反対示威行動、言説は、近世村落共同体を支える立場にある名主層の自己保全以外のなにものでもなかったといっても過言ではいだろう。p.131
まあ、このあたりのイデオロギーと経済的現実の乖離ってのは、結構難しい問題だともうけど…
まあ、知識人末端として、一般的な風習に嫌味を言ったりするのが多いのは確かだが。