山室恭子『江戸の小判ゲーム』

 江戸幕府の経済政策をゲーム理論を援用して、再現した本。50年程度の頻度で繰り返された棄捐令、松平定信の町会所設置をめぐる動き、貨幣改鋳の意義、幕末のコメ相場高騰の意味などを論じている。公儀と武家と商人の相互依存関係や、棄捐令・貨幣改鋳が富の再分配、貨幣の流通活性化による経済の安定を目指した政策だったと指摘する。貨幣の退蔵に至る動きのモデル等も興味深い。あとは、町会所の設置に至る政策担当者の心の揺らぎとか。流暢な語りで、非常に楽しめる本。ずいぶん昔に『黄金太閤』を読んだ時も、楽しく読めたことを思い出した。
 ただ、方法論に微妙に疑問が。
 ゲーム理論は、相応に有効なツールで、何らかの政策が受け入れられるようになるまでのすったもんだを整理するには適していると思う。ただ、江戸時代には、というか大概の時代において、経済的合理性の前に建前やイデオロギーが出てくるところを軽視しているのではないだろうかと感じる。例えば、江戸時代なら米経済の擬制や身分費用・名誉を重視する心性、儒学などの思想の影響も考えるべきなのではないだろうか。あと、幕府側の史料しか使っていないのも、気になる。商人側の「ゲーム」への取り組みが見えず、結局のところ幕府の政策の宜しきみたいな話になっているように見える。
 町会所の話も、松平定信の政策をほめたたえるような形になっているが、災害時の対策には、今まで幕府が復興資金を貸し付ける、渡すなどの対策を行っていた。それを町人の積立金に丸投げするようなもので、結局のところ幕府のさぼりなんじゃとも感じるが。これに関しては、それ以前の災害対策時の貸下げなどの、今までの政策の積み重ねも考える必要があると思う。
 あと、最後の米相場の話は、米価の低下の局面の説明が微妙に感じる。確かに、今まで米を扱ってこなかった人間がにわかに長期貯蔵を行うのは難しいかもしれないが、それだけなのだろうか。説明が簡略過ぎるのではないだろうかと思った。
 一読すると、非常におもしろい本なのだが、真剣に考え出すと、なんかいろいろと気になるところが出てくる作品。