- 作者: 川岡勉
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2012/11/01
- メディア: 単行本
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研究史を最後に置いたのが、興味深い。一般向けの書物で、研究史を取り上げること自体が珍しいが、確かに取り扱うならここに入れられるのが正解だろうな。階級制度や封建制度などの観点から、山城国一揆は取り上げられるようになったが、その後は惣国一揆論や地域社会論の観点から論じられるようになったという流れが整理されている。最終的には、「惣国一揆」論そのものの有効性への疑問、国人たちの主体性の重要性を指摘してしめくくっている。また、庶民はあまりかかわりなく、領主である国人層の主導性も強調される。
とりあえず、応仁の乱以降の、関西地域の政治状況が混沌とした状況であったことは印象的。あと、「領主」としての国人が、地域の社会や地理状況の中で、どのように存在していたかが、本書ではいまいちわかりにくいところに、隔靴掻痒感がある。
本書の最初は地理的な条件の紹介になって、気になって地図を調べてみたんだけど、あのあたりむちゃくちゃ良いな。京都にいた頃に、行っておけばよかった。ストリートビューで、木津川の北岸の茶問屋ストリートから上狛環濠集落まで、旧奈良街道をたどったが、いい雰囲気だった。
以下、メモ:
十五世紀半ば以降、諸国では幕府が守護に国成敗権を委ねるようになり、国人の守護への被官化が一元的に展開していくのに対して、京都周辺では国人たちが特定の主人の配下に結集していくような動きは認めにくい。京郊の西岡は細川京兆家の被官人が多かった地域として知られているが、野田泰三によれば西岡国人の動向は変転極まりなく、一対一の強固な被官関係はみられないという(野田「西岡国人土豪と三好氏」)。野田はそこに荘園本所や幕府の支配が強固に残る京郊地域の特殊性を見いだし、それを克服して一元的な被官関係を構築しえなかった点に細川氏権力の限界を指摘している。p.194