千田稔『伊勢神宮:東アジアのアマテラス』

伊勢神宮―東アジアのアマテラス (中公新書)

伊勢神宮―東アジアのアマテラス (中公新書)

 東アジアとの関係を主眼に置いて書かれた、伊勢神宮の通史。環東シナ海社会の太陽信仰の中のアマテラス、伊勢神宮道教の信仰の関係、「神国」意識の展開と海外との関係、植民地に設置されたアマテラスの神社と帝国主義といったトピックが扱われる。古代の祭祀や宗教に関しては、記紀の改竄や文献情報の欠如で、ずいぶん断片的だなと。結局、伊勢神宮は大和からもって行ったのか、伊勢にあった神社を皇祖神として取り込んだのか。伊勢神宮が、天武天皇の時代に重視されるようになったことを考えると、後者もありえそうな感じが。太陽信仰と海洋民の関係、伊勢の豪族の海洋性、そして大海人皇子が東国で兵を集めたという話を考えると。あとは、近代の国家神道の傲慢さが印象的。
 そういえば、熊本大神宮って何だろうなと思っていたけど、国家神道の遙拝所と布教拠点だったんだな。ウィキペディアをみると、現在地には昭和初めに移って来たそうだが。


 以下、メモ:

 より単純化して考えれば、日本の神信仰は大和の大神神社(現桜井市)の三輪山を神体とするようなあり方が原初的なものであった。ところが伊勢神宮においては鏡を神体とするということ自体、神祇信仰の大きな変化があったということになる。よく知られているように鏡は中国に起源をもつ。その鏡を神体とすることは、中国の鏡の思想が日本の神信仰にもたらされたのだ。鏡が道教においてもつ呪術性は、たとえば四世紀に葛洪という神仙道教の思想家が著した『抱朴子』という経典には、山に入るときには道士(道教の僧侶)たちは直径九寸以上の鏡を背後につるし、鏡に映る姿によって仙人か妖魅の正体がわかるとか、七月七日の夕方に、九寸以上の鏡に自分の顔を映し、思いを凝らすと、神仙(仙人)の姿が鏡のなかに見えることなどを語る(本田濟訳注、平凡社、一九九〇年)。さらに鏡は宗教的な神秘性をもち、帝王の権威を象徴するようになっていった。鏡をもってアマテラスをあらわし、また鏡が天皇位の神器となっていくのも、このような神秘的・呪術的な道教思想と関連するものである。
 このような観点からふりかえって、邪馬台国卑弥呼の鏡について思うと、卑弥呼が鬼道を事とした内容を単純にシャーマニズムということばであいまいにしてしまってはならないことに気づく。卑弥呼は鏡を好んだと「魏志倭人伝」にあるが、それは鏡の呪術性によって権力をもつ支配者を演じた光景を想像できる。p.82-4

 神体の「鏡」そのものが道教思想の影響下にあるものであるとの指摘。卑弥呼の「鬼道」も単純なシャーマニズムではなく、道教の影響下にある祭祀であったというのが興味深い。
 そう考えると、三種の神器自体が、中国的というか、道教的なものなのか。

 それと関連して浮上してくる問題は、台湾の伝統的宗教をどのように位置づけるかということである。さらに鷲巣の文章によろう。


 全島の各地で寺廟の整理がおこなわれ、もう大部分片づいたようであるが、一時大いに世間を騒がせた。一般の人のなかにも、「信仰は各人の勝手であるから、そう役所で世話をやかずに放任してもよいではないか」という意見も出た。あるいは、「信教の自由は憲法の保障するところではないか」との議論もきかれた。しかしたとえそのような議論はどうであろうとも、台湾の寺廟を整理していわゆる淫祠邪教というようなものをなくすことは、台湾の地方の実態を知っている人なら、だれでも賛成するものであろう。


 台湾における寺廟整理問題は、土俗神焼却問題と直接的に関連する。昭和十三年(一九三八年)の『中外日報』は、京都のある宗派の事務にあたっていた人が台湾で二十四年の生活を終えて帰ってきたときの談話をあげている(前掲小笠原省三編述『海外神社史』上巻)。


 あの問題が内地の各宗人にピンと来る廃仏毀釈と同様だと見たらそれは認識が大分違って居ります。決して左様の事でないことだと私は仏教徒の一人として申してはばかりません。つまり実情はかうなのです。……本島人(蕃人ではない)には一種の神棚の如き物がある。それは正面に観世音菩薩などが祀られて居りますが、それは本体でなくその前にある支那の軍さの神様が本体的なものです。それを各家庭で祀って居るのです。勿論これは迷信であって功利的な金儲けの神様であり病気なほしの神様である。更に都合の悪いことには観音様は別として軍神は支那の軍神であって時局柄甚だ面白くないものです。いづれにしても其が正しき体系をとって居る宗教であるならイザ知らずホンの土民信仰であって而かも台湾統治に甚だ面白くない信仰なのです。それで総督府はそれ等の統制のために伊勢神宮大麻を奉ぜしめたり台湾神社の御札を奉ぜしめ信仰は信仰で更にそれぞれ正しき方向に導かしめてゐるものです。これを一言にして言へば「皇民化」運動といふのですが、この運動が土俗信仰のために徹底を欠いて居ります。それですから何とか徹底せしめよう、ことに自治的に(圧迫的でなく)やって行きたいといふのでその村の有志‐先覚者といふやうな半ば村会の如くで(議決権はない)戸別の諮問機関の如き会合即ち保甲会といふのを各地に作りその手でお互いに島民が自覚してその邪教の対象たる神様を焚いたり毀ったりすることにして居るのです。ですからそれを明治維新に日本で行われた廃仏毀釈と同様にとると台湾統治の根本を見誤る訳であって、ドウかと思ひます。私共はやはり素直にこの皇民化運動の支障となる訳の判らぬ無価値の土俗信仰など廃して然るべしと思って居ります。p.182-4

 いや、完全に廃仏毀釈とおんなじ行為だろう。「淫祠邪教」とか、他人の宗教を言う人間は信用できない。つーか、これ言ったのどこのどなただろうな。
 時代的には、日本の神社合祀政策と近いか。宗教を通じた国民統治が追及されたのだな→神社合祀Wikipedia) 文献多数。

こうした非常事態のなか、教団は「信仰問答」の作製に努め、文部省に草案を提出しましたが、文部省は、キリストの復活信仰は幼稚な迷信であるとして、改正を要望しました。その帰途、統理者冨田満と教学局長村田四郎(一八八七-一九七一)は「いよいよ殉教かも知れぬ」と語りあったといわれています。p.197

 いや、どっちもどっちレベルだろう。神風とか、真顔で言っていたわけだし。

 神道は宗教である。ゆえにこれを教授する国立の学校は認められない。したがって神宮皇学館大学の存続は認められない。教授の一人は神社神道には教典がなく、学問上宗教とは認められないと抗議したがGHQとの見解に開きがあった。そこでGHQの提案は学生は他大学に転校を認めるが、数名ずつ分散させて、いくつかの大学に入学させること、教職員の転任は一切認めないというものであった。p.205

 戦前の国立の神宮皇学館大学の廃止に関して。いや、教典がないから宗教じゃないって理屈はどうなんだ。苦し紛れにもほどがあるだろう。