「おてもやんと永田いね」像

 祇園橋のたもとにある小さな広場に建っている銅像。著名な民謡「おてもやん」を顕彰したもの。
 そう言えば、北岡神社はもとは祇園社だったんだよな。




台座解説板

  おてもやんと永田いね
 江戸末期の米屋町三丁目に、「糀屋」という味噌
製造所があった。この永田家は細川家に多額の
御用金を献納して、名字帯刀や家紋三柏の使用を許
されていた。
 永田いねは、元治元年の年の瀬も迫った十二月
二十四日、「糀屋」の主人永田大八の一人娘として
出生した。母・辰だんの希望で、四才の時から踊り
を習い始め、やがて琴・三味線・笛・太鼓等幅広く
芸事に精通していった。
 井芹川で舟遊びをしていて唄ったのが、横手の細川
邸にまで聞こえ、殿様(護久公)の所望によって舞や
唄を披露し、脇差を戴いたこともある。
 明治十五年には、亀甲屋嵐亀乃助と名乗り、女芝
居一座を組んで、大阪・名古屋方面まで巡業に出た。
一座を解散した後は、沢山の弟子をかかえて踊りや
三味線・唄の師匠としていたが、その稽古は厳しく、
少しでも間違えると扇子や煙管でビシビシ叩いて
特訓をしていたので、「気違い師匠」のあだ名があっ
た。
 民謡「おてもやん」は、いねが春日の五反で師匠
をしていた頃作られたもので、この節が名古屋さん
ざい(名古屋甚句)によく似ておるのは、名古屋巡業
の際に影響を受けたのであろう。
              (「五福百年」より)