「生活を復元する力:世界の被災地を歩く政治学者ダニエル・アルドリッチさん:インフラ直しても戻らぬ日常もある復旧と復興は違う」『朝日新聞』13/4/20

 災害からの回復を、ソーシャル・キャピタルの観点から研究している政治学者へのインタビュー。自身がハリケーンカトリーナの被災者になった時の経験から、このテーマへ踏み込んだそうだ。
 カトリーナ関東大震災阪神大震災インド洋大津波の事例を紹介している。「人のつながり、信頼関係が強いほど、集団として課題を乗り越えやすくなる」というのは、阪神大震災の事例というか、失敗を見てもそうなんだよな。中越地震では、そのあたりの教訓が取り入れられていたが、東日本大震災は規模が大きすぎたか、そういう部分が等閑視されているように思う。このインタビューでも指摘されているが、中央官僚主導の大規模ハード復旧に縛られているのは問題なんだよな。区画整理だ、強靭化だと、マクロな議論ばかりだが、基本は地元のコミュニティ、人間関係の回復が大事なんだよな。区画整理にいたずらに時間をかけるのは、愚の骨頂なのだが。日々の暮らしのリズムを集団として回復するレジリエンスと損害を受けたハードを作り直す復旧(リカバリー)を分ける指摘も納得できる。
 同氏の著作「Building Resikience」が下敷きの模様。1923


 以下、メモ:

 「社会科学では、こういう人のつながりをソーシャル・キャピタル社会関係資本)と呼びます。職を失い、ボストンに戻って関連する文献を読みまくったのですが、出てくるのは壊れた建物やインフラをどう復旧させるかという物理的な再建の話ばかり。社会の復元にソーシャル・キャピタルがどれほど大きな効果を発揮するのか、きちんと調べようと決心しました」

 明確にソーシャル・キャピタルの観点から議論した研究ってなさそうだなあ。日本では阪神大震災の事例を中心に、人間関係や人間性の問題を議論した研究はありそうだけど。Ciniiで、「阪神大震災 ソーシャル」や「阪神大震災 コミュニティ」で検索すると、いくつか文献が引っ掛かるし。

――どんな調査をしたのですか。
 「ニューオーリンズのほかに関東大震災阪神大震災インド洋大津波の計四つの被災地に足を運びました。いずれも小さな区域に分け、被災して減った人口が元に戻るうえでどんな要素が大きな役割を果たしたのか、統計学的手法で調べました。1923年の関東大震災については東京の40の交番が把握していた十数年分の資料を手に入れ、デモや騒動など社会運動の発生件数が多く、投票率が高い区域ほど、人口の回復が早かったことがわかりました」
――デモや騒動が、なぜ被災地の回復と関係があるのですか。
 「当時の東京では、ごみ焼却場の建設問題や反戦運動でデモが頻発していました。友人に誘われて参加したり、地域のために一緒に抗議したりする社会運動は、人のつながりを強くするきっかけになります」
 「95年の阪神大震災では、神戸市9区のうち人口が早く回復したのは、NPOや街づくり組織がたくさんあったところ。04年のインド洋大津波では、インド南部沿岸の40村のうち結婚式や葬式の件数が多い村ほど早かった。行事に加わる機会が多いと、人々の結びつきは強まりますから。郵便番号別に110区域を調べたニューオーリンズでも、投票率の高い区域ほど早く戻ったのです」
 「つまり、被災後の人口の回復に大きな影響を与えるのはソーシャル・キャピタルだ、という私の仮説が時代を問わず、国を問わず、データで裏付けられたといえます」

 地域のコミュニティの核としての社会運動。現代の日本では、デモなんかを抑圧してきたわけだけど、そういうのがめぐりめぐって社会のレジリエンスを弱体化させているのかもな。

――レジリエンスとは?
「被災によって奪われた日々の暮らし、日常生活のリズムを、集団としていち早く取り戻す能力のことです。それは必ずしも住宅や道路の再建とイコールではない。神戸でも震災を生き延びたのに、孤独死した方が大勢おられました。特にお年寄りのとっては、安全で暖かい復興住宅に住めれば日常生活が戻る、ということには必ずしもならない。『日常』とは毎日顔を合わせる友人であり、散歩の途中で座るベンチであり、孫を連れて行く行事なのです」
――レジリエンスのある国にするため公共事業を増やそう、という主張も耳にしますが。
「それは復旧(リカバリー)と混同した議論だと思います。ビル40棟のうち20棟が倒壊したとき、20棟を再建するのが復旧です。それは元の暮らしを取り戻す、という真の意味での『復興』とは違う。現にニューオーリンズでも、たくさんの公共事業で街並みは元通りになったのに、人口は半分程度しか戻らなかった地区があります。一方で、ベトナム戦争後に移ってきたベトナム系住民が暮らす地区は9割以上が戻った。レジリエンスがあったからです」
――物理的な再建には大した意味がない、ということですか。
「違います。山を削り、セメントを流し込み、ビルを建てている間はいいのです。仕事はないより、あったほうがいいですから。でも事業が終わったとき、村は以前よりレジリエンスのある村になっているでしょうか。伝統産業が衰退するのは放置しながら、高い防潮堤や立派な橋をつくって、それが『戻ろう』と思わせる決め手になるでしょうか」

 まあ、阪神大震災で長田区の復興区画整理がこの手の愚をおかしているよな。結局、人口は回復していないし、再開発ビルは閑古鳥と。東日本大震災で言えば、漁業をどう振興するという話になるのかな。確かに、インフラが回復しても、仕事がなければ移住するしかないわな。
 あと、お年寄りは周りの人間関係や環境の回復も重要ってのは確か。

「去年、ワシントンの米国債開発局(USAID)で働いて、復興事業というものは途上国への開発援助とそっくりだと感じました。従来の援助は道路や橋といったインフラ整備に予算をつぎ込み、『さあ経済発展して』というパターンだったのですが、何十年たってもうまくいかなかった。個々人の技術を育てるトレーニングや、地域に信頼感を育む環境がなかったからです。もっと地元の人間に投資すべきだったと、援助関係者は気付いています」

 まあ、そうなんだろうな。だからこそ、最近は人間の開発なんて方向になっているわけで。地道な教育とかそういうのが重要なんだろうな。