ヘイト・スピーチ規制論について――言論の自由と反人種主義との相克 | SYNODOS -シノドス-

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 ヨーロッパ諸国やアメリカのヘイトスピーチ規制の歴史手文脈を解説したもの。こうして見ると、ヨーロッパではむしろ移民排除の動きへの対処だったようにも見えるな。守るべき「公」がある程度かっちりと存在するヨーロッパと、マイノリティが権利を確保しようとする歴史の中でむしろ発言権を確保するために「表現の自由」の重みが増していったアメリカ。あと、アメリカに関しては「暴力の自由」みたいなものもあるようだし、そのあたりでもヘイトスピーチを規制する法律の制定は難しそうだ。
 アメリカも、ヨーロッパも、日本とは歴史的文脈がずいぶん違うよなあ。開発独裁国家の体制を濃厚に引きずった日本では、この種のヘイトスピーチ規制がどのように使われるかわかったものじゃないという、司法への不信感の方が強いのではなかろうか。いったん、法律が制定されれば、それは排外主義の排除に方向だけに向かうとは限らないわけで。むしろ、治安維持法的に使われる危険の方が高そうなのがなんとも。
 つーか、現状の在特会なんかは威力業務妨害とか、その種の法律を駆使すれば十分規制できるわけで。それを警察がやらないというあたりに、現在の日本の体制の本質があるように思える。