鈴木直次『アメリカ産業社会の盛衰』

アメリカ産業社会の盛衰 (岩波新書)

アメリカ産業社会の盛衰 (岩波新書)

 20世紀のアメリカのパワーを支えた産業を19世紀後半の工業化から20世紀末まで整理している。フォードに代表される大量生産システムの形成、20世紀半ばのアメリカ産業最盛期の諸産業、1970年代以降の衰退、さらに90年代初頭の製造業の回復傾向といった流れで描かれている。1995年刊行で、もうそろそろ20年前の著作だから、新しい時代ほどなんかこう、時の流れを感じる。2013年の現在から見ると、ピックアップトラックなんかに特化したビッグスリーは、原油価格の高騰で致命的打撃を受けて、いったんは破綻を余儀なくされるし。そもそも、今のアメリカ社会って、金融とWebサービス企業のほうが目立っているしな。
 本書を読んでいて、そもそもアメリカ流の大量生産って、割と硬直的で、市場の変化に対応しにくいものだったのかなとという印象を持った。T型車にこだわってモデルチェンジに失敗したフォードはその極北だが、GMにしてもかなり長い間外観を変えるだけのモデルチェンジを繰り返したわけだし。
 あと、80年代のアメリカの動きを見ると、不況期に取る行動パターンはどこもあんまり変わらないなと。組合叩きとか。


 第一章は、大量生産システムの形成。19世紀後半の「アメリカ的製造方式」からGMのフルライン政策に至るまで。19世紀の生産に対するアメリカ人の態度が、資源を浪費し、労働力を節約する生産スタイルで、それが大量生産の基礎にあるという指摘が興味深い。また、テイラーに代表される「科学的管理」の話。経営者と職長の対立、職長による労働者の酷使を改善するために「科学的」な方法を利用したという。テイラーに限らず、アメリカの「合理的」という考えの背後には、なんというか「神の見えざる手」に対する信仰にも似たものを感じるな。科学とて、人類社会に応用されれば、価値中立とはいえなくなるのだが。最後はフォードシステムと、それに取って代わるGMのフルライン政策。フォードの素材から部品から、全部一貫生産するというのは、単一の製品をつくりまくるには適しているのだろうけど、さすがにやりすぎだよな。結局は、市場の変化についていけなかったわけだし。それに対して、GMはすべての価格帯に製品を発売するフルライン政策、モデルチェンジを定期的に繰り返すなどの販売政策を採用し、価格を下げるために主要部品の共通化などを行なったと。半専用機というのが興味深いな。適度な柔軟性をどう確保するか。


 第二章は20世紀半ばの全盛期のアメリカの産業。つーか、1950年時点で、世界の工業生産の50パーセントを占めていたとか、GDPは世界全体の35パーセントとか、むしろ、その時代が異常だった感じだ。
 成熟産業である鉄鋼、自動車、家電生産の状況。景気の拡大基調のなかで、成長を謳歌したが、徐々に需要の低下による稼働率の低下や輸入品との競争にさらされる状況に。自動車が、長期間にわたって旧式な技術を採用し続けたことなんかは象徴的だよなあ。
 さらに軍需によってスタートアップを支えられた半導体やコンピュータ、航空機、化学産業などの新産業の発展。「化学産業」って比較的歴史の浅い産業なんだな。
 一方で、金融や企業向けサービス、行政サービスなどの第三次産業が発展し、サービス経済化も指摘される。


 第三章は70年代以降のアメリカの製造業の競争力の低下局面について。研究開発費の低下ってのは、現在の日本でも見られることで、けっこう長期的なダメージになりそうだな。あとは、レーガン政権の政策があまり意味がなかったこととか。労使の対立的関係やさまざまな職種が分断されて官僚的組織になってしまっていた状況など。株主があまり経営に積極的な関与をしていなかった話も含め、今の、「柔軟な」、「株主主導」の企業統治のあり方ってのは、ごく最近形成されたものだったのだな。あと、この時期には、まだ日本の半導体産業って、けっこう存在感あったんだな。今や、追われるばかりって感じだが。一方で、研究開発に投資して、CPUなんかの高級な部品に特化した企業が元気なのは、明暗を分けているというか。


 第四章は、90年代前半の製造業の回復傾向の話。つーても、その後の歴史の流れを考えると…
 経済の振幅の大きさなんかは、ここ10年ほどの日本もでかいよなあ。あとは、ジョブレス・リカバリーなんかも、21世紀の日本そのものだしな。


 以下、メモ:

 互換性生産はその後も容易に普及しなかった。それを用いた代表的な企業とされるシンガー社やマコーミック社でも、一八八〇年代までは伝統的な方法でミシンや農機具を大量に作り続けた。その原因は主として、一九世紀後半まで、熱処理によって強化された金属を簡単に加工できる技術が存在しなかったことであった。このため、部品は最初に機械加工され、その後、熱を加えて硬くされたが、熱を加えれば部品は変形し、組み立てる場合には、あらためて手作業による調整が不可欠だったのである。ようやく一八八〇年代に、ミシン。メーカーのブラウン・アンド・シャーベ社のエンジニアだったヘンリー・レーランドが、強化済みの金属を容易に機械加工できる旋盤と精密な測定器具を開発してその障害を取り除いた。この頃にはまた、素材技術も発展し、大量の機械加工が不要になる鍛造品、のちにはプレス機械を用いたスタンピング部品も開発された。p.27-8

 19世紀には加工した後に、熱処理をしていたのか。このあたり、関係の本を読み直そう。

 分業と専門化の論理は、管理層内部でも追及された。テイラーは、工場の日々の管理は計画部を中心とする専門技師たちに委ね、企業主は長期計画の策定や最高幹部の人事に専門化すべきと主張した。技師たちによる科学的な決定は労使がともに遵守すべきいわば中立的な基準と位置付けられたのである。その背後には、不毛な対立を科学によって解消しようという技師たちのイデオロギーと勢力拡大策があったという見解が、中川誠士氏の最近の著作『テイラー主義生成史論』で示されている。p.40

 「科学」の背後に潜む、イデオロギー性。

 化学産業が最初に発展したのはドイツを中心とする一九世紀のヨーロッパだったが、石油化学産業をリードしたのは一九二〇年代以後のアメリカであった。その契機は自動車時代の到来にあった。自動車の爆発的な普及によって、ガソリン需要は急激に増大し、原油からより多くの質の高いガソリンを精製する必要が高まった。このため、石油会社は石油成分の化学的な研究を進め、分解や改質法などさまざまな精製技術を開発した。同時に、精製過程からは副産物として大量の石油ガスが発生し、それを有効に利用する研究も進んだ。他方、自動車生産の増大にともなって、塗料やエンジン不凍液など化学製品に対する需要も高まったが、木材などを原料とする伝統的な製法ではこれに応ずることができず、アメリカの化学会社はドイツの助けを借り石油ガスからこれらの製品を大量生産する技術を開発した。こうして石油化学産業は、需給ともに自動車産業との密接な関連のなかから生まれた、いかにもアメリカ的な産業だった。p.89-90

 はー、石油化学産業って、モータリゼーションが前提だったんだ。そりゃ、第二次大戦時の日本が立ち遅れるわけだよなあ。需要がなかったと。

 この立場に立つ悲観論者は、今まで多くのアメリカ人が中流階層へ上昇する梯子となった製造業の高賃金の職場が失われる一方、サービス産業の賃金はその生産性の低さから製造業を大きく下回り、また拡大しているサービス雇用の多くがパートタイマーなど不規則な就業形態だということを重視して、サービス経済化の将来は経済成長の停滞と中流階層の消滅だと断じた。しかし他方、情報産業のもつ高い生産性上昇率と強い国際競争力、技術革新へのポジティブな影響力と高給の科学・技術・管理者層の増大を重視すれば、むしろアメリカ経済の将来はこれにかかることになる。
 さて、このいずれの傾向が今後のアメリカ経済の大勢を占めるのか、何ともいえない。はなはだ歯切れは悪いが、現状では、サービス経済化はその両面をもっていると言うほかないようだ。p.100

 まあ、その両面とも拡大したような感じだよな。貧富の格差の拡大と中産階級の消滅は明らかに起きているし。一方で、アメリカの国際的影響力を支えているのは、サービス業だし。

 こうなると、アメリカ経済の将来は、製造業ではなく、情報関連サービス業の発展いかんに大きくかかることになる。すでに先端産業を中心に、国内に製造拠点をもたず、頭脳だけで勝負する会社も出現している。長期ではともかく、企業はそれでもある程度はやってゆける。だが、国民経済全体としてはどうなのだろうか。歴史上、国内に健全な生産基盤をもたない強力な工業国が存在しなかったことが、このような国家をイメージすることを難しくしている。直接には雇用問題への悪影響が懸念される。p.225

 実際、国民経済全体としては悪影響が大きいように思うが。その不満は噴出しつつあるしな。