松本健一『海岸線の歴史』

海岸線の歴史

海岸線の歴史

 うーん、海をネタにした「日本人論」だったな。基本的に、留保なしで「民族」を使う人は信用できないのだが。海岸の国防上や経済利用の観点からの利用が優先されて、精神的な関係や海とのつながりと言うナショナルアイデンティティが失われているという主張が展開されている。「数字でもって表されるものはすべて急速に変化してゆく性質を持っているp.236」とあるが、「ナショナル・アイデンティティ」という言説も同様に、仮構的なものだと思うのだが。「われは海の子」が成り立たなくなっていると嘆じているが、あれこそ、虚構の景観ではなかろうか。
 九十九里浜の砂浜の消滅を悼むところ以外は、身体性に欠けているところに、その欠陥が顕著に現われているように思う。日本の海岸にはいくらでも多様性があるにもかかわらず、「日本」で一括してしまっているのではなかろうか。熊本から見ると、「白砂青松」なんて少数派で、泥と干潟の海なんだが。あと、海との精神的な絆ってのは、頻繁に海に行って、海で活動を行なったり、行商の人がやってきて魚を買ったり、場合によってはさばいてもらうような、そういう個別具体的なかかわりから形成されるものじゃなかろうか。そして、それを「ネイション」の共通体験にしてしまうのは、無理な操作だと思う。
 そもそも、「日本人一般」から「海が遠くなっている」のではなく、「大都市」が海から隔てられているってことなんじゃなかろうか。かつては、都市を維持するには水運が必要不可欠で、おのずと海との関係を感じていたが、海岸地域が埋立てられ工業地帯となり、輸送も陸上化した結果、海と隔てられた。海岸の変容といっても、日本全体の問題ではないのではなかろうか。


 あと、「海岸線」の歴史という時点で、そもそも失敗しているような。実際には、満潮時には水没する潮間帯砂丘、後背湿地や潟湖といったある程度の幅をもった地帯なわけで。「海岸線」という言い方をしている時点で、護岸をつくってコンクリで固めて、こっから先は海とやって、人々を海から切り離しているような立場に立ってしまっているのではなかろうか。
 著者が地形学や生態系などの、自然地理や地学関係に目配りしていないのが致命的だと思う。同じテーマなら、高橋裕『川と国土の危機:水害と社会』や太田猛彦『森林飽和:国土の変貌を考える』を読んだほうがためになると思う。日本人の植生への圧力の増大が、砂浜の拡大を生み、砂丘の移動に対応するために松が植えられた経緯。さらに、エネルギー革命の結果、山林の利用が減った結果、森林が回復。これが、ダムなどの建設とあいまって、海への土砂の流入を減らし、砂浜を痩せさせている。こういう、人類活動と環境のダイナミズムが全然見えてこない。
 他に気になった点としては、ヨーロッパの過大評価も。19世紀に入ってからの、ヨーロッパ人の進出と植民地化は非常に衝撃的な出来事ではある。しかし、そのイメージを無批判に近世の始まりの16世紀にさかのぼらせるのは非常に問題がある。16世紀のヨーロッパ人は、文明的に必ずしも優れていたわけでもないし、交易活動にしても限界があったことを忘れてはならない。そもそも、中国製のジャンク船にしても、交易に使われる船にはかなりの大船があったのだし。この当時、水深の深い港が必要だとしたら、中国船の入港への便宜が優先されたと思う。確かに、ヨーロッパ人の到来が、日本人の精神史にあたえた影響を過小評価するのは許されないが、過大評価も戒められるべきだろう。


 水辺空間がコンクリートで固められて、人の生活と切り離されてしまっているという問題意識には条件付で同意するのだが。
 この観点では、「田舎」も人工物なんだよなあ - Togetterが関連するか。確かに、自然/人工の二項対立は問題なんだけど、人が自分によいように誘導して作り上げた景観と、重機で削り取ってコンクリで固めた景観は、分けてしかるべきだと思うが。


 このようなトロイアやモレトスにおける海岸線の変化は、河川の流す土砂やその堆積などの自然的条件によって生みだされたものといっていいだろう。そうだとすれば、こういった海岸線の変化は、世界各地で、むろん中国でも日本でも生じていたことであった。中国の黄河が押し流す黄土は、この二千年のあいだに、河口周辺の海岸線をほぼ二〇キロメートル、海のなかに後退させたといわれる。「黄河、海に入りて流る」の結果である。p.15