玉村豊男『世界の野菜を旅する』

世界の野菜を旅する (講談社現代新書)

世界の野菜を旅する (講談社現代新書)

 野菜をテーマにした、紀行エッセイといった雰囲気の本。それぞれの野菜の歴史や各地の食べ方、品種の違いなどのうんちくがたくさんで楽しい。
 しかし、こうして見ると、英仏独のような北西ヨーロッパ人の外来作物に対する態度がすごく排他的だなと感じる。ジャガイモの普及に時間がかかったと言う話は有名だが、アメリカ大陸産の作物だけでなく、アジア産の作物にも警戒的だったのだな。


 第一章はキャベツとレタス。キャベツはヨーロッパ北西部の海岸地域、レタスは地中海からカフカス方面で栽培化された作物で、とくにキャベツはヨーロッパの伝統的な食生活の重要な構成要素だったそうな。出だしのポルトガルの伝統的食物である直立型のキャベツとそのスープの話。フランス人にとって、「サラダ」と何もつけない場合、レタスのサラダを指しているとか。キャベツは基本的に生で食わないとか。あとは、結球した青菜類のやわらかさが、硬い野草の青菜を食べるよりおいしかった話とか。


 第二章はジャガイモ。導入時のジャガイモが苦かったことが、忌避された要因のひとつと指摘されているのが興味深い。後はイモが小さくて、皮ごと食べていたとか。あとは、飢饉に対する救荒作物として普及していった過程とか、アイルランドの飢饉の話とか。鱈とジャガイモの組み合わせがおいしいらしい。後は、スープにパンをつけて食べていたのが、濾したジャガイモをスープに入れるようになっていた話とか。


 第三章はトウモロコシとトウガラシ。ヨーロッパではイタリアやポレンタやルーマニアのママリガなどの粥として一部の利用にとどまったこと。雑穀の代替になったとか、ベラグラの話とか。一方で、雑穀を主食としていたアフリカ辺りでは、ものすごくトウモロコシが広まっているんだよな。
 後半はトウガラシの話。ピーマンとトウガラシというのは、実際には境目が存在しないとか、カプサイシンの辛味と言うのは他にない独特の純粋な辛さなのだとか。トウガラシというのは、栽培が楽だし、どの状態でも商売になるから、ありがたい作物なのだとか。インドや朝鮮半島、タイあたりで、昔からいましたみたいな感じで食文化を塗り替えてしまったのは、不思議としか言いようがないよな。


 第四章はナスとキュウリ。焼きナスをヨーグルトとオリーブオイルで和えたナスのキャビア。インド北部が原産で、後に塩を振ってあくを抜く方法が開発され、アッバース朝の宮廷で珍重されたこと。ヨーロッパではその苦味が嫌われたとか。


 第五章はニンジン、ダイズ、イモ類、その他日本もかかわる作物いろいろ。モチなし正月とか、中秋の名月がイモの収穫祭だったのではないかと言う話。あるいは太平洋の島々のヤムイモやキャッサバなど。白菜が日清・日露戦争を契機に日本に導入された新しい野菜であることや水炊きは最初キャベツを入れていた話などが興味深い。


 最後はビーツ(甜菜)から始まって、砂糖の歴史。このあたり、黒人奴隷とか、無惨な話ばかりだよな。ナポレオンが大陸封鎖に対抗して、砂糖の供給源として甜菜糖の生産が始まった話。そもそも、甜菜は冬でも葉が茂る、通年の青菜として利用されていたとか、広い温度域で育ち、頑強な野菜だとか、沖縄ではよく食べられているとか。


 とにかく、いろいろと野菜の話が楽しめると同時に、野菜が食べたくなる本であった。


 以下、メモ:

 ところが、青菜を育てる過程で過剰な栄養を与えると、葉の数がどんどん増え、そのうちに増えた葉は行き場がなくなり、しかたなく内側に向かって巻きながらたがいに重なり合うようになる。これが結球という現象で、もちろんふつうの青菜に栄養を与えればなんでも丸まるというわけではなく、葉の形状や葉脈の反りかたなどから適性をもったものを選んでかけ合わせるなどして、長い時間をかけて品種を改良していったのだが、人間がある目的に沿って意図的に介入しない限り、結球する野菜というものはできなかったことはたしかである。私たちの祖先は、わざわざ結球した野菜をつくるために、そうした努力を重ねてきたのだ。
 結球することの利点は、葉がやわらかくなり、白くなることである。たがいに重なり合うから、中のほうの葉には太陽が当たらない。このように日を当てないで葉や茎を白くやわらかくすることを「白軟化」といい、土から顔を出さないようにして育ているホワイトアスパラや、暗いトンネルで栽培するウドやチコリなどさまざまなケースがあるが、キャベツやレタスは結球によって白軟化した野菜の代表的なものである。p.17-8

 私たちがいま食べているような西洋種のレタスは、明治時代になってアメリカから日本に導入されたもので、いまではレタスの仲間に「掻きぢしゃ」のような「立つ」タイプがあることすら、私たちは忘れようとしている。p.32

 レタスとキャベツの話。ほへー

 アンデスの先住民は、ひとつの畑に何種類ものイモを植えつけ、また、畑も複数もっていて、毎年栽培する場所を変えるのだという。
 どれかの品種が病害虫でやられても他の品種が生き残るように、そして連作による障害を避けるために、そうした栽培技術上の知恵を、彼らは何世代にもわたって受け継いできたのだ。p.95

 こういう、意図的に品種をばらすのは、前近代にはよくあったみたいだけど。単一品種と言うやり方が、市場主義的なやり方なんだよな。

 アラブの世界でも、九世紀頃までは、ナスは苦いといわれて嫌われていた。
 医者が、ナスを食べるとソバカスができるとか、咽頭炎になるとか、はたまたガンの原因になるとさえ警告したのも、食べると苦いのが理由だった。古いことわざには、「色はサソリの腹のよう、味はサソリの棘のよう」といういいかたもあったという。
 切ったナスに、塩をふりかけてしばらく置くという、果肉に含まれる苦味を出す方法がはじめて知られたのが、九世紀のことだったのである。それによってはじめて、アラブ人たちはナスの風味と美味を知るようになった。p.138

 コルドバの、茶色の実に紫色の花が咲くナス。セビリアの、長くて細い黒紫色の実に紫色の花が咲くナス。エジプトの、白い実に青紫色の花が咲くナス。シリアの赤みがかった光沢のある紫色のナス……
 ナスの実の色とかたちは、驚くほどさまざまである。p.142

 あく抜きの重要性とか、カラフルなナスとか。あく抜きって、本当に大事だったんだな。

 ヨーロッパに伝わった頃のキュウリは苦味が強かったようで、茹でたり、スープに入れたり、酢と油と蜂蜜で調理したり、苦味を消すのに苦労していたが、面白いのは、中国や韓国では完熟して苦味がなくなった黄色いキュウリを好んで食べる(だから「黄瓜」という)のに対し、ヨーロッパでは結局、日本と同じように、多少の苦味はあっても種が硬くならない幼果のうちに、ナマで食べるほうを好むようになったことだ。
 ナスは油と相性がよいが、キュウリは水と相性がよい。黄色く完熟したキュウリは油で炒めるとおいしいが、未熟なキュウリは大半が水分なので油を嫌う。ヨーロッパで幼果が好まれたのは、火と油脂を使う本格的な料理の材料としては受け容れられなかったということであり、そのためキュウリはサラダ用の野菜として細々と命脈を保つことになった。p.150-1

 日本では、もともと野菜を生食する習慣がなかったので、ナスのほうがキュウリより生産量が多かった。が、近年になって漬物需要が減り、生食がさかんになるとともに、ナスとキュウリの生産量は逆転した。タイではナスをスライスしてそのままナマで(スパイシーなディップをつけて)食べるように、日本でもおそらくこれからは、泉州の水ナスのような生食も可能なナスの品種が増えてくるだろう。p.151-2

 ナスを生食するのか。あとは、ヨーロッパでのキュウリとか。

 インドのカレーには、もともとウコン(ターメリック)が使われていた。
 ウコンはインド原産のショウガ科の根茎で、アラブ人やペルシャ人にも、またスペイン人にも愛好されたが、ウコンが水に溶けないのに対し、サフランは(油には溶けないが)水によく溶けるので、鮮やかな黄色がコメによく滲み込む。そのうえ香りも数段よいから、サフランが知られるようになってからは、ウコンよりサフランで色と香りをつけたコメ料理が、どの地域でも好まれるようになった。
 が、問題は値段だった。サフランはめちゃくちゃに高いのだ。
 サフランは、一個の花に三本の雌しべをつける。栽培種では雌しべの柱頭が良く伸びて垂れ下がるので、これを手で採って、乾かすのだ。
 私も去年、ガーデンで育てていたサフランが咲いたので雌しべを収穫したが、指を黄色く染めながら、腰を曲げて小さな柱頭を採るのはたしかに大変な作業だった。
 ある人は一グラムの雌しべに三百個の花が必要だといい、ある人は十万個の花から五キロの雌しべが採れ、乾燥させると一キロになるといい、またある人は一キロの乾燥品に必要な花は十万個ではなく三十万個だの五十万個だのといい、いろいろな人が計算しているが、計算が人によって違う。うちの畑のは、少な過ぎて計量もできなかった。
 とにかく、採取に手間がかかるので、サフランの価格は人件費がほとんどなのだ。p.164-5

 タイムリーに、サフランライスありますか?という記事が。高いので、祝い事のときくらいしか作れないんだろうな。

 大根足というのは単に太い脚のことをいうのではない。全体はスレンダーだがそのわりには足首が太い、全体の太さがあまり変わらないタイプの足を大根足というのである。モデルは練馬大根だというが、たしかに足首はキュッと締まってはいない。しかし、ダイコンのように白い、優美な曲線を描く大根足というのは、日本的な美の理想を示すホメ言葉である。p.204

 諸説あるようだが…

 ビーツは、太い根塊を皮つきのまま三十分ほど茹でると皮が指で簡単に剥けるから、それを一センチ角くらいのダイス(賽の目)に切って、サラダにする。これとマーシュという青菜を組み合わせたサラダはフランスでは定番の前菜のひとつで、ビーツの甘さが舌に心地よい私の好物である。
 もちろん、マーシュがなければビーツだけを酢と油のドレッシングで和えればよいし、大きな根塊なら全部をサラダにする必要はなく、半分くらいは薄切りにして天ぷらの衣をつけて揚げてみよう。これはビールのおつまみにぴったりだ。p215-6

 メモ。